末期がん・46歳で亡くなったエド・オリバー「スイングにリズムを与えるためには、ボールを遠く飛ばそうという考えを忘れて練習することだ」
エド・オリバーは、1940年代から50年代に活躍したアメリカのプロゴルファーだ。ルーキーイヤーの1940年、メジャー大会の全米オープンでローソン・リトルとジーン・サラゼンとのプレーオフに、オリバーも加われるものと思われた。ところが、スタート手続きの手違いで失格となってしまった。
エド・オリバーの偉大な功績
このときのショックが尾を引いたのかどうかはわからないが、その後メジャー大会では優勝に縁がなく、何度か2位に終わってしまう。それでも、ツアーで8勝を飾ったオリバーは、間違いなく当時の名プレーヤーの1人で、特に宿敵ベン・ホーガンとの優勝争いはギャラリーを魅了した。 身長5フィート9インチ(約175cm)、体重240ポンド(約109kg)というから、かなりの肥満体型だったが、観客には愛されるキャラだったことから、「ポーキー」という可愛らしいニックネームで呼ばれ親しまれていた。 ライダーカップにもアメリカ代表として3回出場し、オリバーが参戦した3回はすべてアメリカが勝利した。PGAは1961年のライダーカップの名誉キャプテンにオリバーを指名していたが、1960年に発見されていた末期の肺がんのために、ライダーカップまであと1か月もない9月に46歳という若さで亡くなった。 最後まで奇跡の回復を信じていたオリバーは、病気と闘いながらがん治療研究のための募金を集める活動を行った。ケネディ大統領やアイゼンハワー大統領など多くの著名人や、ツアー仲間達が彼に賛同し募金に協力したという。この活動は今もPGAツアーで引き継がれており、PGAのツアープロ達が、がん治療をはじめ多くの難病支援のための活動を行っているのは彼の残した功績だ。 ベン・ホーガン、サム・スニード、バイロン・ネルソンなど記録に残る名手が活躍したのと同じ時代に生きたことで、華々しい成績は残せていないが、エド・オリバーは人々の記憶に深く残ったレジェンドの一人と言っていいだろう。