火野正平さんが「丸山の妓夫太郎」を演じたドラマ「長崎犯科帳」…その元になった「犯科帳」に残された「不倫した妻に寛大だった夫」の記録
11月14日に亡くなった俳優の火野正平さんの出演作に、1970年代の人気ドラマ「長崎犯科帳」があります。火野さんが演じた丸山の妓夫太郎(ぎゅうたろう)である三次は、萬屋錦之介演じる長崎奉行所の新奉行・平松忠四郎が表向きには裁けない悪人たちを「闇奉行」として裏の裁きを下す際の協力者でした。火野さんの味わい深い演技が偲ばれます。 【画像】「法を守る気ゼロ」江戸時代の長崎が「幕府お手上げの犯罪都市」になった理由 このドラマの元になった長崎奉行所の裁きの記録「犯科帳」は現存しており、読むと、江戸時代の長崎のリアルが浮かび上がります。 当時は、今でいう「不倫」をした妻とその相手を夫が殺してもお咎めなしの時代でした。では、不倫した妻を許した夫はどのように扱われたのでしょうか。 【本記事は、松尾晋一『江戸の犯罪録 長崎奉行「犯科帳」を読む』(10月17日発売)より抜粋・編集したものです。】
浮気した妻とその相手を斬り殺したら…
江戸時代には、今の時代では考えられないような厄介なことが起きていた。 元禄二(1689)年一二月九日、髪結いの金六は、女房が弟子の六兵衛と密通していることを知り、同夜、六兵衛を斬り殺した。女房は逃げ去り、町の者が金六を捕まえて奉行所に差し出した。詳細はわからないが女房は見つかり、奉行所でことの次第が二人に糺され、六兵衛と女房の密通が明らかになった。これにより女房は翌一〇日、西坂(長崎の刑場)で死罪となった。 六兵衛を斬り殺した金六は、密通した妻とその相手を夫が殺してもよい時代だったのでお咎めなしとなっている(森永種夫編『長崎奉行所判決記録 犯科帳』(一)六六頁。氏家幹人『不義密通』)。 また出来大工町の住人・三助は、享保一一(1726)年七月二八日、同店(奉公先が同じ)の長兵衛と女房の不義を見届け、両人を斬り殺した。二人の親兄弟を呼んで吟味すると、かねて密通していたのは紛れもない事実であり、遺体は取り捨てることが命じられ、三助は町預となった。取り捨てるとは遺体を葬らないことであり、死者への最も不名誉な仕打ちであった。 八月三日、再度呼び出し吟味したところ、不義は事実であったことが確認されたので、奉行所は親兄弟にその証言を証文にして提出させている。そして三助に対しては、残忍な殺し方であったのか、「強過たる仕方」を叱り、軽はずみなことはしないようにと伝えた上で許している(森永種夫編『長崎奉行所判決記録 犯科帳』(一)二二八頁)。