【PFF×若手クリエイター】「わたしの映画づくり」村田夕奈さん
数々の映画監督を見出してきた「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」。第46回となる今年は9月7日(土)~21日(土)の13日間(月曜休館)、東京・京橋の国立映画アーカイブでの開催される。 【画像】その他の写真 今月1日からは、前年の締切日以降(2023年3月24日~)に完成した「新作」ならば、作品の長さやジャンルなど、一切の制限のない自主映画コンペティション「PFFアワード」の公募がスタートした。 その「PFFアワード」ではひとつうれしい情報が。本年から高校生以下(※今回は2005年4月1日以降生まれの方が対象)の出品料が無料となったのだ。 これは「新しい才能」との出会いをなによりも求めるPFFが「常識や固定観念や既存のルールに囚われず、しなやかで自由な発想から生まれる新しい映画表現に出会いたい。若い世代の初めての映画、高校生、中学生、小学生のつくる映画を応募して欲しい」との願いから。18歳以下の若い世代の映画作りをもっと奨励しようということで無料化が実現した。 そこで、映画づくりを考えている、応募に興味があるティーン世代の一助になればということで、高校時代に映画制作を始めた、ふたりの若きクリエイターにインタビュー。 人気バンド「チョーキューメイ」のメンバー麗さんに続くふたり目は、映画監督として活躍する村田夕奈さんに高校時代の映画づくりへの挑戦を振り返ってもらった。 村田さんの初監督作『可惜夜(あたらよ)』は、高校二年生の時に制作された。きっかけはいくつかの理由が重なってのことだったという。 「子どものころからテレビドラマが大好きで、いつか映像の現場に携わりたいと考えていて、中学2年のとき、まず俳優を目指して事務所に入りました。でも、すぐにコロナ禍に入ってしまい、群馬にいた自分はレッスンやオーディションを思うように受けられない。この中途半端な状況が嫌で沢山の映画を見て学ぶことにしました。その流れで、オンライン上で映画関係者が集まるコミュニティに参加するようになり、日本映画の現状や今後の話を聞く中で危機感を覚えて……。微力でもいいので自分も大好きな映画に何らかの形で貢献したい。その思いが映画をつくるという意識につながっていきました。 それからコロナ禍と同時に高校生活が始まり、青春を謳歌するようなことが何一つできていない。その中で、学校の仲間と映画をつくれたらいい思い出になるんじゃないかと思いました。同時に、同じようにコロナに青春を奪われたすべての子たちに、映画で青春を届けたい思いも出てきました。それは先ほどお話しした映画への貢献にもなるのではないかと。 あるとき、放課後の教室で友達の誕生日をお祝いしたんです。その様子を撮った動画をCM風に編集したものを見せたら、みんながすごく感動してくれて言ってくれたんです。『コンクールに出すような映画を撮ってみたら?』と。そのことも私を後押ししてくれました。 そして、私自身が変わりたかった。ままならない現状から抜け出したかった。こういったいくつかの理由が重なって、映画づくりへ踏み出していきました」 ただ、映画を学ぶ授業や活動が学校にあったわけではない。もっと言うと、当時、学校が学生の映画づくりに理解があったわけではなかった。いくつかの困難をクリアしなければならなかった。 「Instagramのストーリーで『映像製作に興味ある人いますか?』と流してみたら、すぐに乗ってくれる子たちが十人以上集まったんです。ただ、いくつか壁がありました(苦笑)。当初から学校を舞台にしたくて、機材を借りるお金もないので使い慣れているスマホで撮影しようと思っていました。でも、うちの学校はスマホ禁止。映画制作の許可への最初の回答は、『使用できる教室は一つ、スマホは禁止』というものでした。これではつくれない。そこで自分たちの本気度を見せないといけないと思って。まず一年生の冬に、ミュージックビデオをつくったんです。集まったメンバー全員が親しいわけではなかったので知り合う目的もあって二班にわけて、それぞれにつくりました。で、そのMVを限定のリンクで公開したら、学校中に広まって先生の耳にも入った。そして、校長先生が見てくれて、私たちの本気度が伝わったのか『スマホや機材の持ち込み、学校のどこで撮影してもOK』になったんです。 こうして高校二年生の夏休み期間を使って撮影することになりました」 『可惜夜』は、大人と子どもの狭間にいる高校生の主人公・さわの心のざわめきを丹念に見つめたひと夏の青春物語。いまの自分を変えたい、うまくいかない現状をどうにかして打ち破りたい彼女の切実な声が聴こえてくる。 「当時、コロナ禍であったことも含めて、私たちは我慢しなければいけないことばかりでした。このとき、自分が感じていたこと、自分の目に映っていたこと、自分の切実な声をきちんと作品に封じ込めて残したいと思いました。たぶん数年後、おそらく自分も大人になって当時の感情には戻れなくなる。だから、このときの自分を忘れないためにも残しておきたいと思いました。 また、いろいろと苦しいことがあったからこそ、かけがいのない瞬間や時間がきっとどこかであったはず。そういう思いも込めて、明けるのが惜しいほどの美しい夜という意味のタイトルの『可惜夜』とつけました」