父の会社が倒産「夜に車に荷物を詰め」高橋ユウが貧乏生活で学んだ両親の教えと「泣きながら食べたラーメン」
高橋さん:はい、それまでは習い事も好きにさせてくれたり、毎年家族で母の故郷であるフィリピンに遊びに行ったりと、なに不自由なく生活を送っていました。しかし、父の事業が倒産して破産してからはお金がなくなり、これまでの生活とはギャップが大きくて。 まず、バンブーハウスのあった庭つきの持ち家を引き払い、同じ街に引っ越したんです。引っ越し業者に依頼するお金もなかったので、夜に車に荷物を詰め込んで、何日もかけて荷物を運びました。さらに引っ越した先の家賃も払えなくなってしまい、もう一度同じ街に引っ越しをして。そのときは、父が勤める牛乳配達屋さんから軽トラックを借りて、そこに荷物を詰め込んでみんなで運びました。
そんな様子を見て、幼なじみに「なんでユウの家はどんどん小さくなっていくん?」と聞かれることもありましたね。 ── 短期間に次々と環境が変わっていったと。 高橋さん:はい。その当時、中1、小6、小4、小1と育ち盛りの子どもが4人いたので、両親は大変だったと思います。実際、当時は物が買えず、泊まりがけの校外学習では仲の良い友達のお兄ちゃんからボストンバックを借りることもありました。でも、だからといって「お金がない。大変、つらい…」と鬱々とする感じでもなかったんですよ。
■お金がなくても家族が明るくいられた両親の教え ──「お金がない状態でも鬱々とした雰囲気はなかった」というのは? 高橋さん:はい。実際、お金はないんだけれど、家の中の雰囲気はめちゃくちゃよかったです(笑)。 先ほど引っ越しの話をしましたが、もともと住んでいた家に住めなくなり、新しい家に引っ越すとき、私たち子どもには次の新しい家がどんな家なのかもわからなかったんです。車で新しい家を見に行く途中、両親から「じゃあ、みんな目隠しして」と言われて、自分たちで目隠しをして。車が停まっても「まだやで、まだやで」と言われながら連れて行かれて、最後に「はい」という合図で目隠しをパッと外すんです。すると両親が「ここが、新しい家でーす!」と嬉しそうに発表してくれて。