父の会社が倒産「夜に車に荷物を詰め」高橋ユウが貧乏生活で学んだ両親の教えと「泣きながら食べたラーメン」
当時、大親友だった子が不登校になり転校してしまって。「学校に行けているかな」と気になって、昼休みに友達と学校を抜け出してその子に会いに行ったんですよ。午後の授業に私たちがいないことに気づいた先生たちは、心配して親を学校に呼んでいて。夕方学校に戻ると、先生たちの前で「心配をかけるな」「迷惑をかけるな」と父から本気で叱られました。 ただ、その後に父が私の好きなチェーン店のラーメン屋に連れて行ってくれたんです。そこで「好きなん頼み」と。運ばれてきたラーメンを無言ですすっていると、「転校した友達、元気やったか?ユウちゃんは、友達のことがすごい心配やったんやな。会いたかったんやな。友達想いはほんまにユウちゃんの優しいところやで」と父がぼそっと言ってくれて。
その言葉にすごくホッとして、泣きながらラーメンを食べたことを覚えています。思い返せば父はどんなときも最後は私の気持ちを受け入れてくれる。常にそんな人でしたね。
■「なんでユウの家はどんどん小さくなっていくの?」 高橋さん:その父が一度だけ、私たちきょうだいに対してしんみりとした姿を見せたことがあって。 ── 何があったのですか? 高橋さん:実は小学4年生の頃、父が経営していた牛乳配達の会社が倒産してしまったんです。ある夕方に「みんな来てくれるか」と父に呼ばれ、家族全員で琵琶湖の畔を歩いていると、父が「実は会社が倒産して、今までのように過ごしていけなくなってしまった。お父さんも頑張るから、みんなも頑張ってくれるか」と切り出したんです。要は貧乏になってしまったと。母はその隣で静かに涙を流していました。
そんな両親の姿を見るのは初めてで、私も母の涙につられて泣いてしまったんです。他のきょうだいを見ると、中学生だった姉は涙をいっさい見せず現実を受け止めている姿が印象的でした。 そしてこう思ったんです。「いつも明るく私たちを受け入れて、たくさん抱きしめてくれた両親が弱っている。このふたりのために頑張らなきゃ」と。きょうだいも皆、同じ気持ちだったと思います。 ── 両親のために頑張ろうと。実際にそこから生活が変わっていったんですね。