100時間の残業が当たり前だった環境をどうやって改善したのか 社員40名の中小企業が取り組む健康経営
中小企業の健康経営は、「予算がない」「人手が足りない」「経営者の理解が得られない」などの理由から、後手に回りがちです。しかし、一人当たりの責務が大きく、離職が大きな戦力ダウンとなる中小企業こそ、働き手の健康は重要と言えます。東京・築地にある株式会社浅野製版所は社員40名の中小企業ですが、100以上の健康施策を実施。中小企業の健康経営のモデルケースとして、政府や行政からも一目置かれる存在です。かつてはほとんどの社員が100時間の時間外労働をしていたという状況を、どのように改善していったのでしょうか。また、数多くの健康施策をどう推進しているのでしょうか。取り組みの中心を担 う、新佐絵吏さん、川瀬和子さん、鈴木道子さんに伺いました。
入り口は過重労働の是正 「人が辞めない組織」をどうつくるか
――健康経営に取り組む前の社員の皆さんの働き方は、どのような状態だったのでしょうか。 新佐:当社は1937年に創業し、80年以上の歴史がある企業です。社名のとおり印刷用製版から始まり、今ではデジタルサイネージや動画も含めた広告やプロモーションツールの制作を担っています。大手の新聞社や広告代理店などが主な取引先で、社員は40人ほどの中小企業です。 広告業界は、過重労働が起こりやすいことで知られています。真夜中に代理店からデータを受け取り、翌朝の印刷へ間に合うように調整作業を行うといったことが、ほんの数年前までまかり通っていました。当社も例にもれず、労基署に指導を受けるような過重労働が常態化していました。 川瀬:私は以前、制作部で画像のレタッチを担当していましたが、15年ほど前までは、泊まり込みの作業が当たり前でした。日付が変わってからが本番で、朝の6時に作業を終えると、始業時間の9時まで寝袋に潜って仮眠をとるのが日課。時間外労働がひと月当たり100時間を超えるのは当たり前でしたね。営業も制作も、すべての社員が残業漬けの状態でした。 鈴木:私は営業として、広告代理店やクライアントと、社内の制作との橋渡しをしています。2017年に入社したのですが、既に業務フローの改善や勤務体系の見直しが図られていて、徹夜や100時間以上の残業などの経験はありません。上司や先輩から当時の話を聞くこともありますが、まったく想像できないですね。 ――労働環境の改善が、健康経営につながっていったのでしょうか。 新佐:そのとおりです。当時専務だった、浅野(光宏・現社長)の旗振りで、長時間労働是正に動き出したのが2007年頃。比較的労務管理自体はきちんと行われていましたが、私が人事として入社した2012年の時点ではオーバーワークの名残がまだありました。 過重労働による一番の問題は、社員が辞めてしまうことでした。当時の社員の平均年齢は32歳。長い歴史がある会社では、ありえない数字です。どうして若手がボリュームゾーンを占めるのかというと、30代の働き盛りを迎える頃に「定年まで働けるイメージが湧かない」と、辞めていくサイクルができてしまっていたからです。 川瀬:当時はとにかく仕事をこなすのに精いっぱいで、社員同士のコミュニケーションも希薄でした。誰かに仕事以外のことを相談したり、思ったことを話したりする余裕すらありません。私は就職氷河期世代なので、雇ってもらえて仕事があるだけでありがたいという思いもあり、「会社とはこういうものだ」考えている節がありました。ただ、年齢を重ねるにつれて、「体をもっと大切にしなければ」とは思っていましたね。 新佐:社員が30代を迎える頃に辞めていくという流れは、会社にとって大きな損失です。組織にノウハウが蓄積せず、いつまでも新人育成の負荷がかかりますから。私自身も入社1年目は人事として、社員の入社と退職の手続きばかりに追われ、不毛な時間を過ごしました。「どうにかして悪い循環を絶たなくては」と思案した結果、出てきたキーワードが「人が辞めない組織」だったのです。 社員同士が対話を通じて信頼を築き、将来の不安が払拭されるような環境でなければ、社員は新しいチャレンジに対して消極的になってしまいます。会社の持続可能性と発展を考えたとき、まずはこれまでの働き方を改める必要がありました。そこをクリアしたうえで、ようやく「人が辞めない組織」つまり健康経営を実現できます。 現在は、毎月のプレゼンティーイズム調査やストレスチェックの実施、健康セミナーやイベントの開催、オリジナルストレッチの制作、年2回のサンクスカードの配布、コミュニケーションスペースの整備など、100以上の健康施策に取り組んでいます。はじめは経営企画部で主導し、2021年には事業部の社員を交えたプロジェクトチームでの運営をスタートしました。 最初は働き方改革やワークライフバランス施策の一環だったこともあり、健康経営を特に意識したわけではありません。しかし、取り組みが健康経営優良法人の基準に多く当てはまることが分かり、2017年に健康企業宣言を発表しました。