兵庫県立美術館『阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち』レポート 6組の作品を通して考える震災からの30年
1995年1月17日。関西圏に住むあなたも、住んでいなかったあなたも、まだ生まれてなかったあなたも、それが「阪神・淡路大震災」が起こった日であることは知っているだろう。兵庫県立美術館で開催されている展覧会『1995⇄2025 30年目のわたしたち』は、國府理、束芋、田村友一郎、森山未來と梅田哲也、やなぎみわ、米田知子という6組の現代アーティストが、震災から30年という節目の年を迎えるに際し、私たちにさまざまなメッセージを投げかけてくれる。 【全ての写真】上部や床、壁面にも田村友一郎の作品がある長い廊下 兵庫県立美術館は、かつては現在の「王子分館 原田の森ギャラリー」がある場所に所在した。その建物が阪神・淡路大震災で被災。現在の建物は、2002年に震災からの「文化の復興」のシンボルとして再建されたものだ。安藤忠雄建築の代表作としても知られているだけでなく、山を臨み、海に面した、神戸らしさを感じる立地にある。 3階まで上がると、企画展示室に足を踏み入れるまでには、コンクリート打ちっ放しの壁がすがすがしい、とても長い廊下を通ることになる。その廊下入口部分の頭上にも、長い廊下を歩いている途中の壁にも、床の上にも、散らばるように田村友一郎の作品が置かれている。廊下の突き当りの壁には、青い空のような画面の上に、英文が書かれている。ビル・ゲイツが社員に向けて投げかけた文章だそうだ。廊下を歩き終えると、田村の展示室が広がる。 実際の展示室は、この画像より少し薄暗い。夜明けに起こった震災を思い起こさせる。この大きな展示室の右脇にある、小さなスペースも見逃してはいけない。 このガラスケースにアーカイブされたモノだけでなく、田村の展示室には、床にちらばったかけら、古すぎる形のモニターのパソコンなどが置かれて、それらからは震災や1995年を思い出すような、田村なりの構成が成されている。誰もが「あのとき私は」と振り返りながら、展示室に置かれたモノや書かれたコトバと共鳴するだろう。 隣の部屋は、兵庫県明石市出身の米田知子の写真が並ぶ。同展では、米田の作品を2つの展示室で見られるが、最初の空間の作品は、1995年の阪神・淡路大震災やそれから10年のうちに撮影されたものが並んでいる。 フィクションのような、ドキュメンタリーのような、でもプライベートな部分を垣間見ているような。ひとことで説明しがたい、しかし客観性を持っている写真、それが米田作品の個性であり魅力なのだが、これらの作品と向き合っていると、私たちは感情を抑えきれなくなるだろう。実際に被災していなくても、私たちの想像力で震災を感じるかもしれないからだ。それが30年「も」前のことだった、というのに。 そう、30年「も」前だった。10年ひと昔、とか、一世代は30年、とか言うけれど、その時間は長かったのか、短かったのか。そんなことを考えながら、次の部屋へと進むと、束芋のアニメーション作品が、私たちを別の世界へ連れて行ってくれる。 震災の記憶は、多くの人が共感するものでありながら、個人によって異なるものである。束芋の新作《神戸の家》や《神戸の学校》は、束芋の住んでいた家や学校がモチーフとなり、そこでの生活が表現されている。たんたんとしたアニメーションに見えるが、束芋は記者内覧会の際、「震災に憤りを感じる」と言った。皆さんは何を感じるだろうか。 アニメーション以外に、束芋はドールハウスの作品も展示していた。真っ暗な空間で、このドールハウスだけに明るい照明が灯っている。一見「かわいい!」と近付くが、よく見るとあたかも震災のときを感じさせる様子だ。これも、震災が夜明けに起こったことに基づくのかもしれない。 そして次の展示室には、やなぎみわの《女神と男神が桃の木の下で別れる》シリーズが広がっている。古事記の中にある女神と男神の、桃が関係する奇妙な神話をベースにした、写真作品や机の上の立体作品による展示室だ。たわわな桃と、緑の葉が、背景の黒に映えて目にしみる。 この桃は福島の桃、つまり阪神・淡路大震災だけでなく、後に起こった東日本大震災とつながっている。2024年の年始には、能登半島地震も起こった。内覧会で、やなぎは「いろいろなことをしてきた30年」と言っていた。桃を写した作品を見ているだけのはずなのに、大きな震災が続いた日本の30年間や、やなぎの活動や作品の30年間についても思いを馳せることとなった。 ちなみに、この作品は、高雄市立美術館(台湾)のウェブサイトのトップ画面に画像が使用されている。この30年の間で、作品表現はもちろん活動の場所も大きく広げてきたやなぎだが、別の展示室では、今後予定されているやなぎと「文楽とのコラボレーション」を垣間見ることができる。 続いて、2014年に亡くなった國府理の《水中エンジン》が置かれた展示室に続く。 《水中エンジン》は、水の張られた水槽に入ったエンジンが動く、という作品。危険と隣り合わせの作品だが、國府が亡くなってから、エンジンを動かすことができなくなってしまった。同展では、水槽に水の入っていない状態で展示されている。 かたくて重い印象の《水中エンジン》とは対照的に、本当に同じアーティストなのかと疑いたくなる、優しいタッチのドローイングが、壁に掛けられている。描かれたそれらは、実際には武骨な立体作品になっているのだが、このドローイングだけを眺めていると、ファンタジーの世界にいるみたいだ。現実と想像、実際あったことと、あったかもしれなかったこと、そして誰も知らない未来のこと、機械と自然など、相対的に考えてしまうだろう。 そして、2度目の米田知子の展示室に続く。 取材時には撮影できなかったが、「30年後」を表現したこちらの展示室では、私たちは生きている、生き続けている、そう感じる作品を見ることができる。 最後は、森山未來、梅田哲也の作品へ。米田知子の展示室の続きのような一角に、古い電話機が置かれている。 すると突然、電話が鳴った! 非常口マークの向こうにも、彼らの作品はあった。 画像では分かりにくいが、ベンチの上にはラジオが置かれ、話している声が聞こえる。ニュースだろうか、おしゃべりだろうか。外には、透明なガラスのボールが釣られている。ボール越しに見た向こう側は、不明瞭で、ゆがんでいるようだ。すっきりした空間にいるはずなのに、見えない不安のようなものを感じた。 同展と併せて、二人の共同制作である「注目作家紹介プログラム チャンネル15 森山未來、梅田哲也《艀(はしけ)》」もおすすめだ。美術館に隣接するKOBELCOミュージアムホール、アトリエ1を会場にしたこちらの企画は、事前予約制。詳細は美術館の公式HPで確認してほしい。 展覧会担当学芸員の小林公は、國府理の《水中エンジン》を見ながら、私にこう語った。「人であれ、モノであれ、残していく、続いていくことが確実とはいえない長さが、30年という年月ではないでしょうか。展覧会で作品を見せたり残したりする意味や意義、作品の命は瞬間的なものなのか、まわっていく循環なのか。それとも、美術館に作品が残っていくことで100年後も、アーティストの営みを伝えてくれるものなのか。美術館で働く者として、今回の展覧会を通して考えさせられました」。 私たち個人の思いとすり合わせながら、作品をみることが鑑賞であろう。そんな鑑賞だけでなく、同展では、現代美術という、同時代のアーティストがつくるジャンルでは、あまり考えることのない作品の命や記録といったことの必要性や普遍性についても考えさせられる。ぜひゆっくりと時間をかけて見てほしい。 取材・文・撮影:藤田千彩 <開催概要> 『阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち』 2024年12月21日(土)~2025年3月9日(日)、兵庫県立美術館にて開催