ドリカム中村が明かす35年の軌跡 「300曲あるとすれば290曲は聴かれていない。トップ10の曲でドリカムは成り立っている」
米国進出の蹉跌
デビュー当時から世界マーケットを視野に、クリスマスをテーマにした「WINTER SONG」、世界にも通用する言葉を使った「SAYONARA」など、英語詩の曲を歌い、97年には米ヴァージン・レコード・アメリカへ移籍し、世界へ踏み出した。 「ドリカムの曲を世界中に伝えたい」という思いがあったからだが、その一方で、ドリカムの根源である「吉田の詩は日本文化に特化していた」という。 「当時はまだ海外へ進出するには英語でなくてはならなかった。その英語はカナダや豪州、欧州など西洋の訛りなら許されても、日本訛りの英語は許されず、吉田もそれに合わせるのに苦労した」といい、英ロンドンでブリティッシュイングリッシュを徹底的に叩き込み、英語詩による歌に挑んだ。 ただ米国で売るためには「エージェントやロビイストなど政治的な力が非常に大きかったのも事実で、そうした環境を揃えてくれるのが、英資本のヴァージン・レコードの米ブランチだった」といい、そこからの米国デビューへつながった。 「ロンドンで積み上げ、学んできたものをさらに大きくしたい」と意気込んだ米国進出だったが、実際には思うような結果は残せず。スーパーバンド、ドリカムにとっては結果的に、蹉跌ともいえる足跡となった。
「ウラワン」で神保彰をゲストに
そんなドリカムが「ドリカムワンダーランド」と対をなすライヴで、隠れた名曲を聴かせる「裏ドリカムワンダーランド」(通称「ウラワン」)が9月22、23日のさいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市)を皮切りにスタートする。スペシャルゲストドラマーとして神保彰を迎えることも話題だ。 「もともとドリカムはドラムのいないバンド。だけどドラムは僕にとっても吉田にとってもサウンドの核という認識がある。基本は打ち込みでやっているが、だからこそ、僕や吉田が憧れたドラマーと一緒にやりたいという思いは強い」と説明する。これまでにも村上“ポンタ”秀一、ハーヴィー・メイソン、ソニー・エモリー、クリス・コールマン、坂東彗ら綺羅星のごときドラマーを迎えたライヴを行ってきた。 「神保さんと僕は同い年だけど、フュージョンバンドをやってきた者としてはずっとトップを走ってきた憧れのドラマー。お互いに65歳になって初めてできること。10年前かというと違っていて、今だからじゃないかな」