名古屋城にエレベーター設置はアリかナシか?渦中の河村たかし市長を直撃「バリアフリーの配慮も必要だが、後世に残す義務がある」
河村氏が「詳細な図面を、焼ける前に残してくれた。復元するためで、そういう文書も出てきた」と語るように、1930年に国宝指定された際、修復資料が整理され、約280枚の平面や断面などの実測図や、700枚以上の写真が今も残されている。 水野氏も「名古屋城以外には、これだけ豊富な資料は残っていないはず」と推測する。しかし、資料が完璧であるゆえに、むしろ「『ここは想像で作るから、エレベーターを付けてもいい』といったイージーなことができない」のも現実だ。 文化庁は、復元された建造物であっても、忠実性を追求したもの、つまり再現度が高ければ国宝に準ずる可能性があるとしている。それだけに河村氏は、「昔のものをそのまま残して、また国宝にしよう。そういう復元の考え方もある」と強調する。 「法隆寺五重塔には、修学旅行の子どもが大勢来る。倒れたら危ないが、やはり本物を残す。文化財には時空を超える価値がある。これを後世に伝えていくのが、僕らの責務であり義務である。バリアフリーなど配慮するところもあるが、1000年後の子どもたちに残す義務があると、みんなで考えないといけない」(河村氏) 名古屋城については一方で、財源の問題も指摘されている。河村氏は、今回の修復工事を税金ではなく入館料などでまかない、50年かけて返済する計画を打ち出している。水野氏は「あくまで税金を使わず、商売ベースでやろうとしている。そこで矛盾が起きる」と語り、工事財源を観光収入に求めるのなら、エレベーターの完備は必須なはずだと指摘する。 城郭研究が専門の滋賀県立大学の中井均名誉教授は、「木造にしても、江戸時代のものではなく、100%令和の建物でしかない。『木造が正しく鉄筋はダメだ』との1択はあり得ない」と語る。 「名古屋城は国宝だったが、空襲で焼けた。あれを鉄筋コンクリートで再建したのは、単なる復元ではなく、名古屋市民ががんばった“戦後復興”の象徴であり、残すべき大事な文化遺産だと思っている」(滋賀県立大学 人間文化学部・中井均名誉教授) (『ABEMA的ニュースショー』より)