福岡県条例で“アスリート盗撮”は「性暴力」と定義へ… スポーツ撮影「表現の自由」と「性的目的」の線引きとは?
条例は「スポーツ写真」という文化を制限することも危惧されるが…
――アスリートの盗撮は社会的に問題視されている一方で、競技に集中するアスリートの華麗な姿や見事なプレイの瞬間などを撮影することは、スポーツの楽しみ方のひとつとして広く認められています。条例によってアスリートの姿を撮影すること自体が規制されると、「スポーツ写真」という文化が損なわれてしまうかもしれません。この問題についてどのように考えられますか? 「スポーツ写真」という文化があること自体は、表現の自由などの権利からも守られるべきものだとは思います。 もっとも、「権利があるから」という理由でどのような行為も許されるというわけではありません。アスリートの撮影も、他人に迷惑をかけない範囲で行われるべきでしょう。 これまでにも、暴力行為については「表現」として許されるわけではない、と一般的に考えられてきたはずです。アスリートであっても、性的被害を受けてもよいわけではありません。社会の考え方の変化とともに、そうした被害は根絶されるべきだと考えます。 しかし、アスリートの活躍を写真におさめることで、アスリートの知名度が上がり、アスリートの活躍の場が増えていくことも考えられます。そのため、一律にすべてを禁止するというのは無理があるとも思います。 性的被害と表現の自由の権利などについて、常にバランスを意識しながら行動していくほかない、と考えます。
弁護士JP編集部