「最後までやると決めたからには」…早田ひな 女王の矜持で勝ち取った「感涙の銅メダル」
3対2で迎えた第6ゲーム。鋭いフォアハンドでリードを奪っていく。マッチポイントとなった早田ひな(24)が打った強烈なサーブを、相手は返せない。勝利が決まった瞬間、会場は大きな歓声に包まれた。泣き崩れる早田は卓球台に寄りかかり、しばらく立ち上がれなかった。 【画像】う、美しい…!清楚な大人コーデに身を包んだ石川佳純「ドレスアップ衣装」で向かった先は…! 8月3日に行われた卓球女子シングルスの3位決定戦で、早田は銅メダルを獲得した。リザーブとして参加した東京大会から3年、絶対エースとして五輪に帰ってきた早田は嬉し涙を流した。この幸せな瞬間のために、彼女は大きな試練を乗り越えてきた。 「まさか神様にこんなタイミングでイジワルされるとは思わなくて」 試合終了後、早田が取材陣に対して漏らした言葉だ。2日前に行われた準々決勝の試合で、彼女は利き手の左手首を痛めてしまう。痛みが取れるまで2~3週間という診断が出て、「棄権」の危機に迫られた。 「この舞台を4年後にまた経験できるかというと、そうは限らない。最後までやると決めたからにはできる限り、やりたかった」 3位決定戦の試合に入る直前まで、普段の20~30%しか力が入らなかったという早田。5分前にドクターに痛み止めを打ってもらい、いざ試合へ。万全ではない状態で臨んだこの試合を、テレビ中継の解説を担当した元日本代表の藤井寛子氏が振り返る。 「前腕部を痛めたときに大きな影響が出るのはバックハンドになります。痛みに耐えるため手首の捻りを抑えて打つと、ラケットを振ることができず、『返すだけ』『合わせているだけ』といった威力不足の打球になります。腕を痛めた翌日に行われた準決勝では、バックハンドが全然振れていない状態で、防戦一方でした。3位決定戦も、第1ゲームから2ゲーム途中まで近い感じでしたが、第3ゲームからは痛み止めが効いてきたのか、バックハンドを普段に近いレベルで打てていました。さらに早田選手の得意のフォアハンドのドライブを打つチャンスも増え、得点につながっていきました」 地元の北九州市で早田を4歳から中学2年生まで指導した石田千栄子氏は「今までにない最高の試合」だと喜ぶ。 「私はひなにフォアハンドをしっかり教えてきました。今回の試合では負傷してバックハンドが振れないから、回り込んでフォアで打つしかない。フォアだけで見たら今までにない最高の試合です。ひなは天才型の選手ではなく、自身の努力のおかげでここまで成長できた。子供の頃、レッスンの後にお母さんが車で迎えに来てくれていましたが、家に着くまでの30分間はいつもお弁当を食べて、自分の練習動画を確認していたんです。その時はまだ小学生でしたが、そういう時間の使い方も本人が考えて行動していたと思います」 打倒中国の目標はまだ果たせていない。早田の挑戦と努力の日々はこれからも続く――。 『FRIDAY』2024年8月23・30日合併号より
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