ブガッティはいかにして「世界最高の自動車ブランド」になったのか? 創業から半世紀で生産7800台の第1期を振り返る【ブガッティ・ヒストリー_01】
自動車とその世界観を表現媒体とした芸術活動とは?
芸術家エットレ・ブガッティが生涯にわたって追い求めたのは、自動車という当時最先端テクノロジーの結晶を表現媒体とした「総合芸術」。彼の造った自動車の多くが芸術作品としても通用する美しさと音楽的なエキゾーストノートを誇ることは、幸運にしてブガッティに触れる機会を得たエンスージアストなら周知の事実であろう。 当時の高級車は、エンジンやシャシーなどのメカニズムのみを製造し、ボディ架装は専業のコーチビルダーに委ねるのが常道とされていたのだが、ブガッティではデザインからエットレ自らが手がけ、製造もすべて自社で行うことをデフォルトとしていた。 そして、肝心のメカニズムでも美的側面を最優先したエットレは、たとえばアルミニウム合金製エンジンブロックも直方体にこだわるために、直列4気筒ないしは8気筒だけとしたうえに、ヘッドの形がシンプルな直方体ではなくなるDOHCも極力排除。 アルファ ロメオなどのライバルにパワーでは後塵を喫しながらも、かのパブロ・ピカソは白銀に輝く直方体のエンジンを「最も美しい人工物」と評したといわれている。 また、プロポーションに影響を与える独立懸架の採用も最後まで拒むなど、テクノロジーの進化に抗ってでさえも、自動車という乗り物が潜在的に持つ古典的な機能美を徹底して表現しようとしていた。 さらに自動車以外にも、エットレ自身と彼を取り巻く人々によってなされたドラマティックなストーリー。モータースポーツやコンクール・デレガンスなどの晴れ舞台で、ヨーロッパ中の観衆の視線を独占した華やかなカリスマ性。そして、クルマ創りの場から日常生活の場に至るまでの環境に要求する徹底した美へのこだわりなど、エットレが表現しようとしたすべてが、今なお世界中の熱心な愛好家「ブガッティスタ」を魅了し続けているのだ。 英国の研究家H.G.コンウェイの著した、ブガッティのバイブルとも称される名作『Le Pur-Sang des Automobiles』によると、イスパノ・スイザ社によって併合される1963年までにモールスハイムのアトリエから生み出されたブガッティのクルマは、ツーリングモデルからワークスのGPマシンまで全て合わせても、じつに約7800台+αに過ぎないと推定されている。 しかし、ブガッティが数あまた存在する名門メーカーの中でも最高の伝説的存在として、その神秘性とカリスマ性を保ち続けているという事実は何人たりとも否定できまい。