石川遼の「同一大会4勝」はツアー史上19人目! さらにスゴイ「同一大会9勝」という大記録を持つ2人は誰と誰?
杉原は関西オープンで9勝目を挙げた翌1991年に10勝目のチャンスがあった。6位タイで迎えた最終日にスコアを伸ばし、優勝争いに加わっていたのだ。 実はこの時、首位にいたのが杉原の長男・敏一だった。優勝経験のなかった敏一は2打のリードで迎えた17番でダブルボギーを叩き、先にホールアウトしていた父親と並んでしまった。18番がパーなら前代未聞の親子でのプレーオフ、スコアを落とせば父親の大会10勝目だ。 パー4の18番、敏一は2打目を1.5メートルほどに寄せた。見守る父親は「入れてくれ」と祈っていたという。祈りが通じたのか、敏一はバーディーパットを沈めて初優勝をつかみ取った。前人未踏の同一大会10勝目は成らなかったが、父親としては最高の瞬間を迎えたわけだ。 尾崎が9勝したウッドワンオープン広島は創設時(1972年)には広島オープンという大会名だった。以降、何度か名称を変え、大会の歴史に幕を閉じた2007年の大会名がウッドワンオープン広島である。 大会は主に広島カンツリー倶楽部八本松コースで開催されていた。尾崎は1976年に大会初制覇。9勝目は52歳の1999年だった。 尾崎も惜しいところで10勝目を逃している。2000年は首位に並んで最終日に入った深堀圭一郎と一進一退の激戦の末、深堀に18番でバーディーを奪われて1打差の惜敗。翌2001年は最終日に15位タイから65のチャージをかけて単独首位でホーアウト。大逆転勝利かと思われたが最終組の深堀が16番から圧巻の3連続バーディーを決めてプレーオフへ。1ホール目で尾崎がボギーを叩き、またも深堀に軍配が上がった。 杉原が関西プロで4勝目を挙げた時の年齢が33歳、関西オープンの4勝目は34歳の時だった。石川は現在33歳。ちょうど同じようなペースである(尾崎のウッドワンオープン広島4勝目は42歳だった)。同一大会9勝は、はるか彼方の記録かもしれないが、一歩ずつ近づいてほしいものだ。
宮井善一