「まるでSNS時代の予言」…20世紀の知識人「吉本隆明」の「日本人への警鐘」が今こそ考え直されるべき「驚きの理由」
強化される「3幻想」
こうして吉本のある幻想を別の幻想で相対化するというプロジェクトは、あえなく失敗した。それどころか、むしろある幻想に支えられて「自立」することのもたらす安心が、別の幻想に埋没する卑しさを正当化し、うながすことを証明したのだ。 かつて吉本は3幻想は「逆立」すると述べた。3幻想は独立して存在し、そして反発しあう。そのために、ある幻想に依拠することが別の幻想に依拠することに対しての抵抗になると考えた。 しかし、ここで吉本は誤った。3幻想は「逆立」しているのではなく、単に独立して存在しているのだ。まるで、現代を生きる私たちが、プラットフォーム上の複数のアカウントを使いわけるように。そのため逆に、ある幻想に依拠することを用いて別の幻想への依拠をも強化することが可能になる。 そして今日の情報技術はこの3幻想を結託させ、とりわけ自己幻想の追求を大きく支援している。たとえば、現代を生きる人びとは、対幻想(他のユーザーとの関係)や共同幻想(所属する共同体)を誇示することでの自己幻想(アカウント)の強化を中毒的に欲望している。 この構造がプラットフォーム上の相互評価のゲームを強化していることは論をまたない。21世紀の今日、吉本の3幻想はSNSというかたちで相互補完的に機能して、より強固に人類を関係の絶対性に縛り付け、相互評価のゲームのネットワークのなかに閉じこめているのだ。 言い換えれば、SNSのプラットフォームとは情報技術を用いて人間間の社会関係「のみ」を抽出する装置だと考えてよい。人間間の関係のみを肥大させた結果としてプラットフォーム上の人間の言動は「人とかかわること」に特化し、とくに承認の交換以外の欲望が喚起されなくなっているのだ。こうして、情報技術は人間を関係の絶対性の檻に閉じこめたのだ。 さらに連載記事<インターネットが実現した「多様性」を人々がこぞって捨て去ろうとしている「悲しき現実」>では、現代の情報社会が直面している問題点をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
宇野 常寛(評論家)