鎖国時代の“文明ロード”長崎街道 佐賀神埼宿でかつての道のりたどった
国内旅行でも人気の高い九州地方。中でも福岡、長崎は観光客が多く訪れるエリアだ。その両県に挟まれた佐賀県だが、かつて“文明ロード”と言われた長崎街道に沿って多くの宿場を有し、古くは弥生時代からの遺跡も残っている。日本の国の成り立ちをうかがわせるそんな歴史のあるまち、佐賀の神埼を訪ねた。
神埼は江戸時代、長崎街道の宿場のひとつ、神埼宿が置かれた地である。長崎街道は小倉から長崎までの約224kmの街道に、25の宿場が置かれていた。 鎖国体制の江戸時代に、唯一外国との交易を行っていた長崎に通じる重要な街道で、海外からは人物、知識、文化が入り、“文明ロード”と言われていた。神埼宿には、佐賀藩や幕府差遣の巡察使、長崎奉行などが宿泊した本陣や脇本陣が置かれていて、東西の出入り口には厳重な木戸が構えられていた。 西の木戸口から歩いてみた。当時の面影を残す家屋がほとんどなくなってしまっているところが少し寂しいが、その街道と同じ行程の道路が今も利用されており、東の木戸口近くには長崎街道で唯一現存する一里塚「ひのはしら一里塚」が残っている。 宿場内の道には五ケ所の曲がり角が含まれていて、城下町同様、戦時の通し矢の被害を避ける工夫がされていた。 町歩きをしながらシャッターを切り、ふと思ったが、その作為的な行程が、奇しくも現在では行き交う車の減速に役立っているようで、背後を通り過ぎるスピードに危険を感じなかった。ちょっと、先人のアイデアに感謝してしまった。 (2017年3月撮影)