元ドラ1右腕が古巣復帰で最多勝獲得! 4球団を渡り歩き、カムバック賞、40歳まで投げた野村収【逆転野球人生】
終身雇用の価値観が根強い昭和の日本では異端な人生観。野村は日本ハム2シーズン目の75年には11勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得。76年にも44試合(12完投、231投球回)で13勝16敗2セーブ、防御率3.04と投げまくった。だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない――。翌77年に5勝に終わると、意外な球団が野村の獲得を熱望するのだ。自分をドラフト1位指名するも、わずか3年で放出した大洋ホエールズである。間柴茂有、杉山知隆という左右の一軍投手と交換で野村は7年ぶりに古巣復帰。異例の元ドラ1の出戻りとなった。『週刊現代』78年4月6日号のプロ野球大座談会では、野球評論家の有本義明がこんな発言をしている。 「大洋では、なんといっても野村がいい。今年一番いいんじゃないか。これは働く。野村しだいで大洋の順位もかわる。もっとも出戻りだから、新人王の資格はないけど」
メディアで「今年の野村は凄いらしい」と噂になり、本人も自主トレから近年悩まされた右肩のしこりがなく手応えを感じていた。プロ10年目、背番号21をつけた31歳の野村はキャンプインと同時に鉄アレイを2個買い込んだ。遠征中も持参して地道なトレーニングで手首を鍛え続け、リーグ屈指と称されたストレートの球速アップだけでなく、シュートやスライダーのキレも増す。開幕から連敗スタートとなったが、その後は5連勝を飾り、ハーラーダービーのトップを争う勢いに別当薫監督も「やるとは思っていたが、これほど頼りになるとは……」と驚いてみせた。5月に白星から遠ざかると、周囲が驚くほどのランニング量を自らに課し、試合中にブルペンで200球を投げ込んでスランプを脱出。なんと最終的に17勝11敗4セーブ、防御率3.14の好成績で最多勝のタイトルを獲得してみせるのだ。前年5勝からの劇的な復活。78年の大洋は横浜スタジアム移転元年で、球団新記録の143万7000人の観客を動員したが、野村は“マリンブルー旋風”の躍進の象徴となり、カムバック賞も受賞する。