伊藤園が「お茶の未来を考える」博物館オープン 江戸時代の茶運び人形や汽車土瓶など時代の変遷とともに喫茶文化の軌跡伝える
茶碗をのせると前に進む。茶碗をとると停止する。再び茶碗をのせると旋回して出発点に戻る――。 これは5月1日開館予定の「お茶の文化創造博物館」(東京都港区)に展示される「茶運び人形」実演の一コマ。 茶運び人形は、17世紀から作られ始め大名やの豪商の喫茶文化として幕末にかけて発展していった喫茶文化の一形態。同館では時代の変遷とともに喫茶文化の軌跡が多岐に紹介している。
4月23日の内覧会で伊藤園の笹目正巳お茶の文化創造博物館館長は「単にお茶の歴史を振り返ったり、お茶の道具を眺めるだけに留まらずに、実際に五感を使って喫茶文化というものを体験していただきたい」と語る。 展示の茶運び人形は実際に駆動する。動力はゼンマイ仕掛け。ゼンマイ仕掛けは、非常に柔軟で弾力があるセミクジラのひげで作られる。クギや接着剤は使用されていない。 茶運び人形は、17世紀から作られ始め大名やの豪商の喫茶文化として幕末にかけて発展。 茶運び人形が登場する最も古い記録は井原西鶴が1692年に著した「独吟百韻自註絵巻」にある「茶を運ぶ 人形の車 はたらきて」の句となる。
江戸時代のお茶を飲む道具として「茶弁当」も展示。参勤交代の際など、屋外でお茶を飲んだり食事をしたりする時に使われていたという。 そのほか、茶の湯や煎茶道の道具や、屋外での茶会「野点(のだて)」で使われていた道具などが並ぶ。 明治時代の喫茶文化の一端を示すものとしては汽車土瓶がある。 日本の鉄道は1872年(明治5年)に新橋・横浜間で開通。その後、各地に鉄道が敷設され長距離旅行の時代が到来。諸説あるが1877年(明治10年)に神戸駅で駅弁が販売され、1889年(明治22年)には静岡駅で駅弁用のお供にお茶が入った汽車土瓶が販売された。
汽車土瓶の大半はゴミとして処理され、使い捨ての考えはこの頃から存在していたと推察される。 列車内で飲まれるお茶は、汽車土瓶に始まり、以降、ガラス茶瓶やポリ茶瓶入りのもの、揉み出し茶、ペットボトルへと形を変えながら今に至るまで駅弁のお供として愛されている。 同館は旧新橋停車場(東京都港区)内にある。旧新橋停車場は日本の鉄道開業の地であり、鉄道と喫茶文化の関係を知らしめる展示内容にもなっている。 併設の「お~いお茶ミュージアム」では、現在主流の喫茶文化としてペットボトル入りや缶入りの緑茶飲料を紹介。お~いお茶ミュージアムでは、主に「お~いお茶」のリーフと飲料の製造工程や、誕生から現在までの歴史を知ることができる。