「娘の幼少期を思い出すと申し訳ない」24歳で出産し引退した大友愛 2年後にシングルマザーで現役復帰も「アイドル的人気はストレスだった」
── 当時は「バレーファンでなくても大友愛は知っている」くらいに世間の人気が盛り上がっていましたね。一方で、アイドル的な注目を浴びることで息苦しさや重圧もあったのでは。 大友さん:それはすごくありました。本当は選手としてバレーだけに集中していたいのに、それができない苦しさがありました。スポーツにとってファンの存在が大事なことはわかります。でも会社の寮の前で待ち伏せするような過激なファンの人もときにはいましたし、もっとひどいこともありました。今のようにSNSがなかった時代なので、テレビで私に関する間違った報道がされても、訂正できる場はどこにもありませんでした。一度、誤ったイメージを植えつけられると、ずっと誤解されたままになってしまう。それも大きなストレスでした。
バレーが好きでバレーをやっているだけなのに、もうバレーに集中できない。もうここから逃げ出したい。そういうしんどい状況がずっと続いて、あるとき父に「苦しいからやめたい」と打ち明けたんです。 父はタクシーの運転手なのですが、タクシーの車内も私のポスターだらけにするほど、バレー選手としての私をずっと応援してくれる人でした。そんな父だったから私がやめたいと言えば悲しむことはわかっていたんです。でも、予想に反して「愛の人生だから、決めたんならそれでいいよ。お父さんはもう十分楽しませてもらったよ」という言葉が返ってきた。
父の本心としては多分もっと娘を応援していたいはずなのに、私の意見を尊重してくれた。その気持ちが嬉しかったので、逆に「じゃあもう少しだけ頑張ろう」と気持ちを切り替えられました。
■24歳で引退、決断を迷った出産 ── 2006年には結婚して24歳で長女の美空さんを出産。このタイミングで現役を引退されています。女性アスリートにとって出産のタイミングと決断は悩ましいところだったのでは。 大友さん:日本女子バレーの未来を考えるのであれば、許されないことだろうなとわかっていました。本当ならここから自分が中心選手になって頑張るべき時期だったのに、そのタイミングで突然、引退するわけですから。でも、その前年に母と祖父を立て続けに亡くしていたこともあって、授かった命を諦めることはどうしてもできなかった。