「娘の幼少期を思い出すと申し訳ない」24歳で出産し引退した大友愛 2年後にシングルマザーで現役復帰も「アイドル的人気はストレスだった」
「許されないことだとはわかっていました」バレーボール選手として活躍した大友愛さん。日本女子バレー界の中心選手となるべき24歳のタイミングで現役引退を表明。長女を出産します。(全4回中の1回) 【写真】身長は184cmの大友さんを超えた!高3の長女は今では日本代表に(全12枚)
■「絶対に嫌です」と断り続けていたが ── 高校生のときにはオリンピック有望選手に、プロ1年目から全日本代表に選出され、現役中は2度のオリンピック出場。バレーボール選手として輝かしいキャリアを築いてきた大友さんですが、10代のころはどんな風にバレーと向き合っていましたか。
大友さん:バレーを始めたのは中学1年生からですが、私にとってはただ楽しいから続けていただけで、プロを目指すなんて気持ちなんて当時はまったくありませんでした。 「将来は日の丸を背負って」なんて期待されることがあっても、「いやいや下手っぴな私が日の丸なんて絶対ムリです!」とずっと本気で言っていました。 でも高校の進路を決めるときになって、指導者の先生方が私の可能性を狭めないようにといろんな道を考えてくださったんですね。そのことに気づけたのは大人になってからでしたが、10代のころから素晴らしい指導者の方々と出会えたおかげで、自分はバレーの道を進めたんだなと今になって実感しています。
── 最初のオリンピック出場は2004年のアテネでしたが、エースアタッカーとして活躍し、一躍人気者に。翌年にはバレーボール選手としては初となる写真集やDVDも出版されています。当時は複雑な胸中だったそうですが…。 大友さん:写真集やDVDは「絶対に嫌です」と、ずっと断り続けていたんです。でも、当時所属していた会社の意向に押しきられてしまって。新幹線で移動している間中、隣の席のマネージャーさんに延々と説得されているうちに、もう根負けしてしまった感じでしたね。今となってはもう笑いのネタにしてもらっていいよと割りきっていますけど、私はもう2度と見るつもりはありません。