43歳の棋士・山崎隆之八段が挑む「最後の大舞台」 6月藤井聡太八冠とタイトル戦が開幕
将棋界の話題を取り上げる「王手報知リターンズ」の第10回は、第95期棋聖戦で15年ぶりのタイトル挑戦を決めた山崎隆之八段(43)が登場。絶対王者・藤井聡太八冠(21)=竜王、名人、王位、叡王、王座、棋王、王将、棋聖=との五番勝負の開幕は、6月6日。盤上盤外で人間味あふれる山崎の最高の戦いが始まる。(瀬戸 花音) 21歳の絶対王者の前に、43歳の挑戦者が名乗りを上げた。藤井に勝ちたい思いはどれくらいあるか―。不躾な質問にも、山崎はいつものように痛いほど真剣に対峙(たいじ)してくれた。「3連敗した15年前より状況は悪化しているし、絶望は広がっている。とはいっても自分の望みとしてはやっぱり、勝ちを得たい。棋士で45歳以降踏ん張れた人は少ない。僕は元々トップをとった力がある人ではないから、今がぎりぎり踏ん張れる時。普通に考えて、本当に最後のチャンスなんで」 2009年9月。マリナーズのイチローが大リーグ新記録となる9年連続200安打を達成したその月、28歳の山崎は王座戦17連覇中の王者・羽生善治王座(当時)と戦っていた。初めての大舞台だった。「そこは別世界でした。圧倒されているうちに次々と敗れた。何かすごい…大きなものだったという印象だけを残して、一瞬で去ってしまった」結果は3連敗。タイトル戦は1か月弱で幕を閉じた。 15年ぶりだ。記憶力も、次の手を読むスピードもあの時より劣っている自覚がある。それでも、これまでの棋士人生の「最高到達点」と位置づけるそこに並んだ。「今、人と話していると、知らず知らずのうちにちょっとふわふわ浮かれているなって、自分でも思うんです。藤井さんのタイトル戦を見て、挑戦者の方が勝ちそうになっていると、これが自分だったらなって妄想したりしてて…」。43歳の挑戦者は初々しさすらにじむ屈託のない笑顔を見せる。 人間味のある棋士だ。一門の“祝賀”パーティーでいささかアンマッチなエレファントカシマシの「悲しみの果て」を堂々と歌う山崎は、盤上でもその独創性を発揮する。AIが普及し、定跡が整備されていくこの時代の中で、それに支配されない自由な一手を放ち、相手を惑わせる。「自分の強みはやっぱり相手もあんまり知らない、昔のAIも何もない時代にどう引きずり込むかみたいなところにある。毎回毎回が自転車操業っていったら変なんですけど。知られると答えが出てしまって相手に対策を用意されてしまう。そういうのは面白くないじゃないですか。年々苦しくはなってきているなとは思いますけど」 そんな整備されていない自身のことを「欠陥品」と称す。「将棋以外いらない」と言い切った少年時代。鋭利な言葉で悪気なく人も傷つけてきた。「たぶんあのときは親が死んでも、対局があれば将棋を指したと思います。周りの事なんて1ミリも興味なかったし、気にしなかった。勝つときは対局が始まる前から勝つことは決まってるぐらいの自信がありましたし。自分の中で全てが完結するものだと思っていました」 今は違う。どうにもならない能力の衰えを受け入れていく過程で、「人に嫌われたくない」とも思うようになった。「人とご飯にいって、話しているのが本当に楽しいです。僕は元来の優しさは持ち合わせていないですし、自分が変わりたいようには変われなかった。昔ずけずけ言った人とは疎遠になってますし。そういう借金はある。ただこれ以上借金を重ねようとは思わないです」 だが、人間に好かれるような道を選んだことで、自身の中に浮かぶ「欠陥品」という言葉も濃くなっている。「将棋の、勝負の世界で生きていく上で善しあしがあるのは分かっています。それで弱くなっている部分があるとしても、それはしょうがない。こっちの道を選んでしまったので。もうもどれないですから」 現代は「将棋も人間関係も努力が報われる時代になったと思う」と山崎はいう。「ただ僕は子どもの頃から人間関係を積み重ねてこれてないですし、将棋も悶悶とひとりで向き合うみたいな自分の理想とする努力にはまだたどり着いていない。どっちにしろ僕にとってはつらいっすけど」。浮かべた苦笑いには充実と葛藤が含まれている。 4月22日、棋聖戦挑戦者決定戦を制した夜。山崎はこのタイトル戦を「最後の大舞台」とすっぱり言い切った。そこにいる記者たちは、その言葉の強さをただ真剣に受け止めた。 だが、後日、東京・将棋会館の記者室に現れた山崎の弟弟子・糸谷哲郎八段は言った。「最後最後って言ってて、本人も誰もつっこんでなかったんですけど、タイトル奪取したら来年、防衛戦があるんですよ」 弟弟子の言葉が伝わると山崎は声をあげて笑った。「僕自身もそれは失言ということに気づかなかったし、多分あそこにいる全員が気づいていなかったと思います(笑い)ファンの方も、4局目の淡路島には行きたいよねって方が多いので(笑い)棋士の強さランキングで言えば20位に入っているかなぐらいの僕が藤井さんを番勝負で追い詰められてる姿は普通は想像がつかないというか。それが当たり前のこと。逆に糸谷さんがよく気づいたなって」 「将棋以外いらない」と言っていた少年は今、年を取り、「将棋にしがみつけるだけしがみつきたい」ともがいている。「今はなりふり構わず勝負にこだわってるなという感覚があります。衰えを認める部分と認めない部分とで、考えるというよりは感情的にそれを許せるか許せないか自分の中ですりあわせは結構あって、それはそれでなかなか楽しかったり。あとは、先輩方もなにかしらあがいて、あらがって、必死なんだろうなって勝手に想像して。だから自分も負けられないなと」 メガネの奥に広がるまっすぐな瞳に吸い込まれそうになる。正も負も吸い込んで、山崎はいうのだ。「やってみないとわからない」 ここにあるのは17歳から26年間、勝負師としてあり続けている男の顔だ。「藤井棋聖はずっと大きな舞台でその力を示してきているけど、僕自身は持ってる力をアピールできる最後の一番大きな舞台。本当の意味で絶対的な力を持っている相手との戦いでどれくらい通用するかっていうのは未知数だと思う。その中で少しでも通用したら、これは、今後の棋士人生でも励みになると思います」 そうして、次にまた、いたずらっ子のように笑う。「今もすでにラッキーすぎるだろって思ってて、この後何か悪いことが起きるんじゃないかと心配で。棋聖戦が終わったらちょっと遊びたいけど、悪いこともできないし…終わったら、そんな葛藤をしたいと思います」 柔らかさと鋭さとあたたかさと冷たさが渦巻いている。「自分の弱さを知られていることを知っている」「自分が変われないことを知っている」―ドライに自分を見抜き続ける43歳の挑戦者は、人を引きつける自身の魅力にだけは気づかぬまま、棋士人生最高の戦場に赴く。(瀬戸 花音) ★山崎隆之八段の推し棋士 冨田誠也五段(28)にしようかな。パッと頭に浮かんで、話とかを聞くのが好きなのは、ABEMAトーナメントでも共演している渡辺明九段や佐藤天彦九段なのですが、ちょっとメジャーすぎるので(笑い)。 関西所属で、イベントに出ている数が多い冨田くん。服部慎一郎六段と「もぐら兄弟」ってコンビを組んで漫才にも挑戦しているし、なおかつ順位戦でも(来期C級1組に)昇級してて、本業でも活躍している。両方挑戦しながら結果を出している棋士でいいなと。 周りをしっかり見ながら、自分のやるべきことを考えてやることができるような、しっかりしていて、かなり気遣いのできる後輩です。イベントで会いに行ける機会の多い棋士だし、話したら面白いタイプなので、ファンの方も実際に会って話したら好きになるかもなと思います。(談) ◆山崎 隆之(やまさき・たかゆき)1981年2月14日、広島市出身。43歳。98年、四段昇段。2000年、新人王戦優勝。15年、第1期叡王戦優勝。17年、JT杯優勝。21年、順位戦A級に初昇級。弟子は磯谷祐維女流初段。独創的な指し回しで人気を集める。最近はまっているのは旅行。最近、一門の祝賀会で披露する歌の練習のために一人カラオケを初体験。
報知新聞社