ドラえもんのひみつ道具案出したことも、「どの話かは秘密」……てんとう虫コミックス50周年、担当編集者思い出を語る
小学館のレーベル「てんとう虫コミックス」が今年、50周年を迎えた。藤子・F・不二雄さん(本名・藤本弘、1933~96年)の『ドラえもん』単行本化のため生まれたレーベルだ。初代担当編集者で小学館OBの河井常吉さん(79)は今も、藤子さんとの仕事の思い出を大切に胸に収めている。(高梨しのぶ) 【写真】ドラえもんの誕生日を祝うパネルが藤子・F・不二雄さんの出身地に(2日)
ドラえもん 歩き出した日…初代編集者・河井常吉さん
たんこぶを作って道路を歩くのび太の後ろの電柱に書かれた「河井質店」の文字――。第1巻の最初に収録された「未来の国から はるばると」の最後のコマは、藤子さんの河井さんへの遊び心を込めた温かな感謝の気持ちが詰まっている。「当時は、大したことじゃないと思っていたんですよ。質屋じゃない方が良かったなぁ、なんて」と笑う。
河井さんは1968年に小学館入社。69年、学年誌「小学四年生」の編集者になった。藤子さんが同誌で連載中の作品が、年内で終わることになり、すぐに新連載を始めることになった。幼年誌と学年誌の計6誌で、一斉に始めるのは当時でもまれだった。藤子さんの連載予告ページを「小四」だけで載せることになり、河井さんは校了当日の朝、原稿を受け取った。
ところが、この予告はタイトルがわからず、ドラえもんの姿もない。河井さんは編集部内でひどく怒られたという。「主人公は? タイトルは?――聞かれるたびに答えられない」と苦笑する。
だが、連載が70年1月号で始まってから、人気を広く集めたことは誰もが知るとおりだ。
「小四」でこのとき藤子さんを担当した期間は3年半ほど。「以降もおつき合いが続きました。物静かで、僕がずっと話すのをじっと聞いてくださる、聞き上手な先生でした」。担当時に河井さんが子供の頃の思い出話をしたり、「ひみつ道具」案を考えて伝えたりすると、後日、原稿に登場することもあった。「どの話かって? 秘密です」
担当時代、2人きりで話したある時、多弁ではない藤子さんが「河井さん、僕、ドラえもんに会えて本当に良かった」と、ぽつりと語ったという。“会えた”という表現に、藤子さんの思いがにじむかのようだ。