CBの元祖にして伝説の始まり、ワークスマシンに勝利したベンリイCB92スーパースポーツ
急遽、開発されたレース向けのチューニングモデルだった
ベースとなったのはベンリイCB90という車両だ。これは、1958年に量産車で世界初の4ストローク125cc空冷並列2気筒を搭載したベンリイC90を基盤にチューニングしたモデル。浅間火山レースに加え、マン島TTレース参戦も視野に入れた車両で、1958年から開発がスタートされた。最大出力15PS/10500rpm、最高速度130km/hの高性能と、耐久レース走行にも耐えられる車体構造を持つ。 CB90は、既に1959年1月に発表されていたものの、マン島TTレース出場予定種目であった市販スポーツタイプ部門が中止に。レギュレーションとして課せられていた200台以上の生産実績が突如、不要になってしまった。そこで発表から約1か月後の2月に早くもモデルチェンジを行い、改めて「ベンリイスーパースポーツCB92」として受注販売することになった。 この辺りのバタバタさと、臨機応変ぶりはバイク黎明期の当時ならでは、と言える。
実戦での技術をフィードバックし、125ccで15PSをマーク
CB92も最大出力15PS/10500rpm、最高速度130km/hをマークした。ちなみに当時の15PSは凄まじい高出力で、ファクトリーマシンRC146ですら18PS程度。環境規制は全く異なるとはいえ、現代の125cc市販スポーツと同様の数値を既に1950年代から達成していた。 エンジンは、レーサーで培われた技術をふんだんにフィードバック。カムチェーンはC90と同様にシリンダー左側に設けられたが、高速走行に耐えるためにクランクシャフトを3点支持に変更した。ボア×ストロークは1959年のマン島TTに初出場したワークスマシン、RC142と同じボア44.0×ストローク41.0mmを採用する。 さらに初期型は、アルミ製の燃料タンクとフロントフェンダー、マグネシウム製ドラムブレーキハブで軽量化を図っている。
ワークス勢を抑え、市販車が驚異のWタイトル獲得
CB92は、1959年の第2回クラブマンレースに参戦。若干19歳の北野元選手が駆り、見事優勝を果たす。 クラブマンレースで優勝したライダーとマシンは、プロクラスと呼ばれたワークスのみ参戦できる第三回全日本レースにも出走できるルールだった。こうして北野選手とCB92はホンダワークスのRC142に混じって参加することになった。 結果、ワークス勢を抑え、見事CB92+北野選手が勝利。現代に置き換えれば、市販車がモトGPマシンに勝ってしまうという快挙だ。当然、CB92は大きな評判を呼び、受注生産から一般販売されることになった。 こうしてCB=速いバイクのイメージが浸透し、以降も多数のCBが生まれることになる。 なお、CBという車名の由来は、別記事に詳しいが、「MotorcycleのCとBetterのB」を意味していると言われる。 現在のCBはネイキッドを示す車名となっているが、本来はCB92のようにスーパースポーツを意味する。往年のCB750フォア、CB1100R、CB750/900Fらも当代きってのスポーツ車として登場した。そして現代もCBのRバージョンである「CBR」がスーパースポーツを表す車名として継承されている。その礎を築いたCB92はまさに二輪の歴史に名を残すモデル。ホンダのプライドが生んだ意地の1台だったのだ。
ベンリイCB92スーパースポーツ 主要諸元
・全長×全幅×全高:1875×595×930mm ・ホイールベース:1620mm ・車重:110kg(乾燥) ・エンジン:空冷4ストローク並列2気筒SOHC2バルブ 124cc ・最高出力:15PS/10500rpm ・最大トルク:1.06kg-m/9000rpm ・燃料タンク容量:10.5L ・変速機:4段リターン ・ブレーキ:F=ドラム、R=ドラム ・タイヤ:F=2.50-18、R=2.75-18 ・当時価格:-
沼尾宏明