国際政治学者・五野井郁夫に聞く、“映画”と“ファッション”の相互関係
リアルサウンド映画部では、「映画、ドラマ、アニメにおけるファッションを解剖する」と題してファッション特集を展開中。エンタメ作品におけるファッションの役割を考えるにあたって、2023年に公開されたグレタ・ガーウィグ監督作『バービー』は、ファッション(=衣装)が効果的に用いられた最たる例だと言える。“バービーらしさ”が表現された衣装には、バービー人形の歴史のみならず、ファッションが担っている政治性も反映されていた。 【写真】『バービー』場面写真(複数あり) ネット上では政治への関心が高まっているように感じるが、Z世代の大学生である筆者の回りでは政治に全く関心がない学生も多くみられる。もしファッションを切り口に政治について読み解くことができるのであれば、より多くの人が政治に関心を持つ足がかりとなるのではないだろうか。 そこで、「政治とファッション」の2軸で研究をしている、国際政治学者の五野井郁夫にインタビューを行った。五野井は『バービー』をどのように観たのか、そして「映画とファッション」の相互関係から読み解ける政治事情について語ってもらった。 「あえてバービーの服を時代精神を反映していたシャネルに統一している」 ーー衣装の観点からみて、『バービー』はどのような作品でしたか? 五野井郁夫(以下、五野井):『バービー』はクリントン政権時代(1993年~2001年)の作品ということになっているから、あえてマーゴット・ロビー演じるバービーの服を当時の時代精神を反映していたシャネルに統一しているんですよね。最初に出てくるバービーランドのシーンでも、バービーの家にあるクローゼットの服にシャネルと書いてあります。 ーーそこには気づきませんでした。 五野井:90年代のシャネルって、カール・ラガーフェルドが衣装デザインを担当していた一番“強い”時期なんです。 一見、第4波までのフェミニストたちが「マーゴット・ロビーにシャネルスーツを着せるなんて超ベタすぎないか」と怒りそうじゃないですか。でも、グレタ・ガーウィグ監督の戦略としては、第3波のインターセクショナリティ、第4波のフェミニズムをちゃんと説明して、さらに、近年のビリー・アイリッシュのようにフェミニズム批判を入れ込んだ上で自分が着たいと思うものを着ているんだ、という形で提示しているんですよね。ラガーフェルドは問題のある人でしたが、ナオミ・キャンベルを起用し黒人モデルを当たり前の風景にしたことは大きな功績です。 ーー「着たいものを着られる」という意味で“バービーランドの民主化”が行われた、ということですね。 五野井:はい。やっぱりガーリーなものを提供していたことが大きいと思います。『バービー』では、あえて“ピンクのデカデカとしたシャネル”を出して、女性のなかにあるいろいろな葛藤や女性間の断層線の先にある着たいものを着るポスト・フェミニズム的なムーブを描いている。だからこそ、“90年代のシャネル”にしている意味がすごく伝わってきました。 ーーここでいう“民主化”について、私たちの身近な例で説明していただけますか? 五野井:例えば、Instagramで誰かがアップしている写真を見て、その人の着ている服を自分も着てみたいと思うことがありますよね。そういう誰かがやっていることに対して、自分自身もそうしたいと欲望し実現できるということが民主化だと思っています。フランス革命以前というのは、当然、身分社会ですし、服装も非常に統制されていました。実は、ここでいう民主化を楽しめるようになったのは、近代以降のことなんですよね。 観る中でいろんな発見がある『バービー』 ーーほかに『バービー』の中で印象的だったシーンはありますか? 五野井:家族の中で、お父さんが「Duolingo」という語学アプリでスペイン語を一生懸命学んでいるシーンがあるんですよ。あれは多分、奥さんがミックスの家族で、主流派の男性である旦那さんが奥さんのことをもっと知ろうと思って学んでいるんですよね。観る中でいろんな発見がある作品として、『バービー』は良かったんじゃないかなと思っています。 ーー『バービー』と同時期に公開されたディズニー&ピクサー作品『マイ・エレメント』も主人公が移民だったように、最近は移民を描くハリウッド映画も増えているように感じます。 五野井:今まで移民や有色人種を見えないことにしていたことの方がおかしいですよね。すごく不自然だったじゃないですか。『リトル・マーメイド』のアリエルを演じるのが黒人であることも普通のことですよね。 ーーそれでも批判的な声が挙がってきます。 五野井:存在している移民やマイノリティ、カラーの人々を無視する形で何かを作っていくことの方が不自然なのですが、社会が追いついていない。だからクリエイターが先にやるしかないんです。作品が時代を引っ張ることも必要です。 ーー今は主役としてスポットライトが当てられているマイノリティの方たちも、社会の意識が追いついたら、主役ではなく自然な1人として映画に登場できるようになるのでしょうか? 五野井:今までは“些細な背景”だったわけです。難民を扱った作品はいろいろありますが、近年でいえば、ウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』。この作品の主人公の少年・ゼロもアルメニア難民でした。オスマン帝国から逃れてきたゼロをホテルのコンシェルジュのグスタヴ(レイフ・ファインズ)が雇うわけですが、すごく感動的なのは、ファシストの軍人たちがゼロを奪おうとしているときに、何の血の繋がりもない自分の雇っている使用人に対して、命を賭して「Don't touch my lobby boy!」と表現すること。これはやっぱりすごいことだと思います。 ーー映画やドラマなどに反映されるファッションや政治についても、監督がどれだけ政治に関心を持っているかが関係しているように思います。 五野井:それは明らかにそうでしょう。スパイク・リー監督の映画では、衣装デザインを黒人女性のルース・E・カーターがずっと担当しています。Netflixのドキュメンタリー『アート・オブ・デザイン』でも取り上げられていましたが、近年までのスパイク・リー監督の作品は、“黒人社会におけるリアリティをとにかく提示してほしい”という形でオーダーを出しています。逆にいえば、全く意識していない監督の無防備な考え方や姿勢がそのまま出てしまっている例もありますよね。 「人の欲望が最も早い形で表れるのは、映像芸術とファッション」 ーーファッションと政治の相互作用について、五野井さんの意見を聞かせてください。 五野井:第2波のフェミニズム議論でいえば、政治における規範の変化の兆候が一番早く出てくるものは、映画をはじめとする芸術やファッションなんです。サン・ローランが1966年にパリのセーヌ川左岸(rive gauche:保守的な右岸に対してカウンターカルチャーが左岸)にオープンさせた「サンローラン・リヴ・ゴーシュ」というブティックがあるのですが、ここはもともと男性が着るものだったパンツやスモーキングジャケット、タキシードジャケットなどを女性が着やすい形にしてプレタポルテで出して、大量に売ったんです。「自分が本当に着たい服を規範に縛られることなく着ることができる」という女性たちの証明をサン・ローランが提示したんです。この若者たちによる政治の勢いはそのままゴダール『中国女』(1967年)へ受け次がれ、1968年には当時のドゴール仏大統領をのちに退陣させ、世界での文化的革命を引き起こしたパリ五月革命へとなだれ込みます。 ーー私はZ世代なのですが、政治に関心を持っている日本の若い人は少ないように感じています。 五野井:今のZ世代についていえば、それなりに政治的関心はあると思います。逆にそれ以前の世代、つまり40~60代に、政治に関心がない人が多いと思っています。これには、村上春樹や吉本ばななに代表されるような1980年代の消費文化が関係しているんですよね。 ーー消費文化の1980年代に至る前はどんな時代だったんですか? 五野井:1970年代の大島渚監督や足立正生監督などの作品は、非常に暴力的でした。時代の風潮として「武力闘争が一番いい」というようなことを言っている映画が多かったので、そういう人たちを横目で見ていた1980年代の若者たちが「政治ってイヤだな」と思って、“政治に無関心であることがカッコいい”というような風潮が2000年代くらいまでずっと続いてきました。 ーー映画界とファッションの最前線のつながりは並んで進んでいっているものなのでしょうか? 五野井:海外ではそうなってきている部分もありますが、日本だとファッション業界自体のジェンダー規範も弱いですし、尊厳のない労働も多いというのが現状です。それこそスタイリストの無賃労働が横行していたり、上下関係がすごく厳しかったり……。こうした状況は今すぐには解消されないと思いますが、それを解消する方向で作った映画がもっと出てきたらいいですよね。Netflixとかは大規模な予算をかけた作品を、スタッフにとってもいい職場環境で制作できつつありますから。 ーー他国と比較しても、日本映画の予算はかなり少ないですよね。 五野井:国からの補助金をもっと出してもらうことが大事ですね。映画と漫画とアニメ、そしてファッションが、海外で戦える数少ない日本発のコンテンツなので。だから国がちゃんとお金を出しつつ、口は出さないという形で、お金をドンとつけてあげることによって、映画産業に携わる人々の生存と尊厳の双方を守っていくことが必要だと考えます。 ーーここまで政治を読み解くうえでファッションに表れるものを軸に聞いてきましたが、逆にファッションの方から政治に働きかけることは、エンタメ業界においてあり得ることなのでしょうか? 五野井:おそらく、法律や政治になるよりも先に人の欲望が最も早い形で表れるのは、芸術、とりわけ映像芸術とファッションなんです。女性の権利がまだちゃんと認められていなかった頃に「スカートを履かない」という方向を推し進めたり、コムデギャルソンやヨウジヤマモトが1980年代に発表した、既存の男性目線と3サイズに縛られないオーバーサイズや男性のスカートもそうですが、政治よりも先にファッションや映画の方で社会の規範を作り変えてしまう、という流れがこれまで多くありました。 ーーとても興味深いです。そもそも、五野井さんはなぜファッションと政治を並べた形で研究を始めたのでしょうか? 五野井:ファッションと美学・芸術学を勉強していくうちに、ただ政治の動きを勉強したり、哲学書を読んだりするだけでは政治を何も見ていないんじゃないかと思ったんです。ファッションやモードというものと政治の関係、あるいは政治と映画の関係というものをちゃんと押さえていないと、世の中の動きを見誤るだろうと。それを読解し、皆さまに提示していくことが非常に大事なことだと考えています。 ーー映画とファッション、そして世の中の政治的な動きのどちらもが相互的に作用していると。 五野井:映画もファッションも、どちらも時代のちょっと先が見えていて、「将来こうなりそうだな」というのを一番結晶化した形で表しているものがしばしば出てきます。だからこそ、これからもそれぞれの表現と表現者のみなさんに期待をしています。
佐藤アーシャマリア