ドイツ左派ポピュリスト「ヴァーゲンクネヒト」新党は極右の票を奪うか
「ドイツでは戦争の危険や所得の不平等が強まっている。その原因は、オラフ・ショルツ政権の傲慢さと無能力にある。我々はこの現状を克服する必要があると考え、新党を結成した」。赤いスーツに身を包んだBSWのザーラ・ヴァーゲンクネヒト共同党首は、ベルリンでの記者会見で結党の理由をこう説明した。 同氏は、「ショルツ政権は『過激政党の躍進により、特に旧東ドイツで民主主義体制が危険に曝されている』と警告するが、こういった状況が生まれた原因は、ショルツ政権の失策によるものだ。旧東ドイツの多くの市民は、政府に無視されていると感じている。我々は、この国の政治に理性と正義を復活させたい」と付け加えた。
共産主義の正当性を信じる政治家
ヴァーゲンクネヒト氏は、1969年に社会主義時代の東ドイツで生まれた。父親はイラン人、母親はドイツ人である。ベルリンの壁が崩壊した年である1989年の春に、東ドイツの政権党だったドイツ社会主義統一党(SED)に入党。共産主義の正当性を信じる人物で、1991年にSEDの後身党であるPDS(民主社会党)の執行部に所属した。やはりPDSの幹部だったグレゴール・ギジ氏は、「ヴァーゲンクネヒト氏は、東ドイツ市民による民主化要求、ベルリンの壁崩壊から東西ドイツ統一に至る動きを資本主義勢力による反革命と考え、統一後は社会主義国東ドイツの復活を目指していた」と語っている。 ヴァーゲンクネヒト氏は、2009年の連邦議会選挙で初当選。2007年に結党された左翼政党リンケの連邦議会議員団の共同院内総務も務めた。リンケで最左翼に位置していたヴァーゲンクネヒト氏は、ショルツ政権のウクライナに対する武器供与を批判し、即時停戦とロシアとの和平交渉開始を要求した。このため、ロシアのウクライナ侵攻を糾弾していたリンケの指導部と対立した。同氏は、2023年10月にリンケを離党するとともに、新しい党を結成する方針を打ち出していた。BSWは今年6月の欧州議会選挙を手始めに、9月にザクセン州など旧東ドイツの3つの州で行われる州議会選挙、来年秋の連邦議会選挙に党員たちを立候補させる。