育成1位の入団辞退、上沢直之のFA獲得で「ソフトバンク」にアンチが増加? 識者が指摘するターニングポイントになった“大物選手”の獲得とは
“アンチ巨人”から“アンチソフトバンク”
23年のオフで上沢はポスティング申請を行い、翌24年1月にMLBのレイズとマイナー契約を結んだ。だが開幕メジャー入りを逃し、契約破棄条項を行使してレッドソックスに移籍。だが、やはりメジャー入りは叶わず、傘下の3Aチームでプレーしていた。 「上沢投手は11月にFAとなり、帰国して日ハムの施設で練習を行うこともありました。ところが、それをソフトバンクが横取りした格好になったのです。スポニチアネックスは12月16日、上沢投手に4年総額10億円規模の条件が提示されたと報じました(註3)。ルール上は何も問題はありませんが、Xでは『わずか1年のメジャー挑戦で、しかも日ハム復帰ではなくソフトバンク移籍は納得できない』など、上沢投手とソフトバンクの“モラル”を問題視するポストが相次いで投稿されています」(同・記者) 昭和のプロ野球には“アンチ巨人”というファンがいた。しかし令和となった今では、“アンチソフトバンク”が増えている印象がある。 野球解説者の広澤克実氏はヤクルト、巨人、阪神の3球団でプレーした。ヤクルトではアンチ巨人的な発言の多かった野村克也氏が監督を務め、阪神ファンは巨人を目の敵にすることで知られている。巨人ファンもアンチ巨人もよく知る広澤氏に、ソフトバンクに対するイメージの変化について尋ねた。
常勝巨人の消滅
「日本にプロ野球が誕生したのは1936年、昭和11年のことです。この年には2・26事件が起きました。プロ野球は長い歴史を持ち、ファンの目も肥えており、その楽しみ方も多種多様です。アンチ巨人は、そうしたファンの多様性を象徴していると言えます。アンチ巨人は熱烈な野球ファンですから日本におけるプロ野球人気に大きく貢献しました。ただし、なぜ巨人が野球ファンの一部に敵視されたかと言えば、V9が大きかったと思います」 プロ野球に限らずメジャーリーグでも「金満球団はファンもアンチも多い」という傾向が認められる。その代表例がヤンキースだ。しかしながら広澤氏は「アンチ巨人の場合は、少し事情が異なります」と言う。 「巨人が金満という印象を持たれたのは90年代でしょう。親会社である読売新聞の発行部数が1000万部を突破したのは1994年でした。一方でアンチ巨人という言葉は60年代から普通に使われています。つまりアンチ巨人の本質はV9に象徴される“常勝巨人”に対する異議申し立てだったのではないでしょうか。そして今の巨人に常勝というイメージはありませんし、新聞の発行部数も減少を続けています。一方、投資会社のソフトバンクは売上の単位が数兆円です。文字通りの金満球団ですから、今後はアンチソフトバンクが増え、アンチ巨人は減っていくと考えられます」(同・広澤氏)