「観客が翌朝も頭を抱えていてほしい」…北欧ホラー『胸騒ぎ』監督が明かす、“悪夢的世界”の裏側
ある家族が過ごす悪夢のような週末を描き、ワールドプレミア上映された第38回サンダンス映画祭で批評家に称賛された北欧ホラー『胸騒ぎ』が公開中だ。異様な緊張感に満ち、オリジナル脚本ならではの先の読めない展開が話題となって、本国デンマークのアカデミー賞に相当する第34回ロバート賞では11部門にノミネートされた。MOVIE WALKER PRESSでは、本作で監督、脚本を兼任した俳優出身の俊英、クリスチャン・タフドルップ監督にインタビューし、悪夢的な世界観の根源について尋ねた。 【写真を見る】人間のイヤな面をたっぷりと濃縮…あなたは『胸騒ぎ』に耐えられるか? ■「怪物や幽霊よりも、人間関係のブラックな笑いや怖さが好きです」 イタリアでの休暇中、デンマーク人夫妻のビャアン(モルテン・ブリアン)と妻のルイーセ(スィセル・スィーム・コク)、娘は、オランダ人夫婦のパトリック(フェジャ・ファン・フェット)とカリン(カリーナ・スムルダース)、その息子と出会い、意気投合する。後日夫妻から招待状を受け取ったビャアンは、妻の反対を押し切って人里離れた彼らの家を訪れる。再会を喜んだのも束の間、会話のなかで些細な溝が生まれていき、それは段々と広がっていく。常軌を逸した“おもてなし”に違和感を覚えながらも、数日の辛抱だと愛想よく振る舞うビャアン。だが、その我慢が仇となり、事態は最悪の結末へと向かっていく。 ――拝見したあと、一日中落ち込みましたよ。なんて映画をつくってくれたんですか! 「ありがとう、楽しんでくれたみたいですね!謹んでお詫び申し上げます(笑)」 ――本作のプロットはどのように生まれたのでしょう? 「実体験がきっかけです。イタリアへ家族旅行に行った時、オランダ人の家族と仲良くなって、メールアドレスを交換したんです。旅行から帰ってしばらく経ってから『オランダに来ないか?』と誘われました。迷ったんですが、丁寧にお断りしました(笑)。でも、考えたんです。『もし行っていたらどんなことがあっただろう?』って。そこから脳がフル回転し始めて、色々なシーンが浮かんできました」 ――恐怖描写も印象的ですが、ホラー映画を意識して物語を組み立てたのですか。 「ホラージャンルにおける定番表現はもちろん意識していますが、それ以上に人の行動のぎこちなさが生むブラックな笑いと、居心地の悪さとの相乗効果に着目しました。というのも、怪物とか幽霊っていうのにはあまり興味がなくて、人間関係から生まれる怖さが好きなんです」 ■「さまざまな要素が詰まっているのは、人生がジャンルレスなのと同じ」 ――ホラー要素と社会風刺をはらみつつ、ジャンルレスなブラックコメディとしてのバランスがすばらしいですね。 「『胸騒ぎ』は典型的なホラー映画ではないですね。そもそも私自身、企画当初から『この映画はどういうものなんだ?』と疑問に思っていたんです。そこでジャンルを決めることは諦めました(笑)。映画はホラー、コメディやアクションとラベルがつけられることが多いけれど、考えてみれば優れた映画にはさまざまな要素が詰まっています。『胸騒ぎ』もそれを目指して作りました。ファミリードラマにスリラー、風刺、そして滑稽な笑いといったふうに。それは人生がジャンルレスなのと同じです。生きることは色々な要素の衝突だと考えています。それを表現できればと取り組みました。その点、本作は実験映画といってもいいかもしれないですね」 ――登場する二つの家族は非常に対象的です。なにかを象徴しているのでしょうか? 「デンマーク人のビャアンたちは現代的な家族像です。権威的ではなく、おおらかで、子どもたちに優しくて。さらにお金もあるし、タワマン生活。まさに理想的に見えます。でも、完璧すぎてエモーショナルな感情を失っていると思のです。それゆえにどこかカタストロフィを欲している。というのは、私たちの世代は“清き人間”であることを強制されているような気がしませんか?ビャアンは“清さ”を脱ぎ捨てて、本来あるべき“獣”に戻りたいどこかで望んでいる部分があるのです。」 ――理性的なビャアンが、カタストロフィを求めてパトリックに会いに行ったということでしょうか? 「物語上、動機が必要だったのもありますが、ビャアンが持っていないものをパトリックが持っていたといえます。つまり『胸騒ぎ』は、理性的すぎて関係が希薄になってしまった夫婦が繋がりを取り戻すラブストーリーでもあるんです。酷いカップルリゾートになってしまいましたが(笑)」 ――非常に胸が悪くなる映画ですが、お話を伺うと“解放”の物語に思えてきました。 「非常にダークな話なのは間違いないのですが…ビャアンたちはすべてを脱ぎ捨てて、お互いの感情を共有して、泣いたり笑ったりできる原始的な関係を取り戻しているから、そういう見方もちろん“あり”です。その視点はとても重要だと思います。私は常日頃から、一つの解釈しかできない映画は良質とはいえないと考えています。寓話や詩的なものを盛り込んでダークなシーンでも真逆の印象を与えることができるのです。『胸騒ぎ』はその点、しっかり盛り込むことができたと自負しています」 ■「『胸騒ぎ』を観てくれた皆さんが、翌日も頭を抱えてくれたらうれしい」 ――本作を観て、1990年代のトッド・ソロンズ監督やリューベン・オストルンド監督の映画がお好きなんじゃないかと思ったのですがいかがですか? 「オストルンドにソロンズ?大当りです!特にソロンズの『ハピネス』が気に入っています。とある学校でレクチャーをした時に教材で使ったのですが、学生が何人も退出してしまって。確かに挑発的な作品で、起こる出来事は冷酷だけど、しっかり観れば、普通の人々に対する普通の出来事を描いた愛のある肖像、とでも言うべきものであることに気がつく。20年前の映画ですが、最近の若い子は行間が読めないのかな?とショックでした。 もちろんオストルンドも大好きです。同じスカンジナビア人として共感できる部分が沢山あります。スカンジナビア人はやたら“礼儀”を重んじるんだけど、その“礼儀”のなかに皮肉や悪意が潜んでいるのでは?といった疑問を描いたり、社会風刺を本筋に据えたりというのが、私と共通しているところです。とはいっても、私は私のオリジナリティをはっきり打ち出していきたいと考えて『胸騒ぎ』を作りました(笑)」 ――さて、最後に“胸糞映画”として日本のホラーファンにも浸透してきている本作を鑑賞する観客に、メッセージをお願いします。 「心乱されることは、とても価値がある体験です!映画を見終わったあとに、反芻して誰かと議論するのはすばらしいこと。『胸騒ぎ』は“生きる”ことについて大事なテーマを扱っています。最近は所謂“Crowd Pleaser Movie”(観客を喜ばせるために作られた映画)が多いような気がしています。だから私はカウンターとして『胸騒ぎ』を製作しました。心を根っこから揺り動かされ、感じることは生きていくうえで大事なことです。だから、『胸騒ぎ』を観てくれた皆さんが翌日、朝起きた時も頭を抱えてくれていたら、うれしいですね」 取材・文/氏家譲寿(ナマニク)