伊藤若冲と交流、「煎茶の祖」高遊外売茶翁の生誕350年…佐賀市で南宗画士によるライブペインティング
佐賀出身で「煎茶の祖」として知られる江戸時代の禅僧、高遊外売茶翁(1675~1763年)が来年、生誕350年を迎える。佐賀市のNPO法人「高遊外売茶翁顕彰会」は11月29日、市歴史民俗館(旧古賀銀行)で、売茶翁と画家の伊藤若冲(1716~1800年)の交流に着目した、南宗画士によるライブペインティング(公開制作)を行った。(森陸) 【写真】公開制作をする岡原さん
「若冲の鶴には牙があるんですよ。普通はないんですけどね」。南宗画士・岡原闘鶴さんが、軽妙な語り口で技法などを紹介しながら筆を執ることおよそ25分。縦横約150センチの金屏風に、松の枝にとまる鶴の姿があらわれた。鶴と松は、若冲が好んだ組み合わせで、松の線の独特なゆがみや、粘りのある筆遣いが若冲の画風を思わせる。絵が完成すると、佐賀県内外から訪れた200人超の観客からは大きな拍手が巻き起こった。
岡原さんは若冲をテーマにしたNHKのドラマで、劇中に登場する絵の制作などに携わった経緯があり、来年秋に県立美術館で「売茶翁と若冲展」の開催が予定されていることから、若冲の筆致を模した公開制作が実現した。イベントに参加した同館の安東慶子学芸員(30)は「若冲らしい筆遣いを間近で見ることができる貴重な機会で、感動した」と話していた。
62歳の頃、高僧の身分を捨てて京都で茶を売り歩く生活を始めたことで知られる売茶翁。厳しい身分社会の中で、身分の隔てなく禅を説きながら茶を施した。その清貧で型にとらわれない自由な生き様は、同時代の文化人や市井の人々に大きな衝撃を与えた。その中でも、売茶翁とのつながりが深かったとされるのが若冲だ。
若冲は青物問屋の長男で家業を継ぎ、商いを続けることを期待されていた。この日のイベントで、講師として登壇した大阪国際大の村田隆志教授(日本美術史)は「売茶翁は予定されていた(高僧としての)未来を自分の判断で捨てて、自分のやりたいことをやった。将来を悩んでいた若冲に、こういう生き方もあると、初めて指し示した人だったのだろう」とし、「売茶翁がいなければ、若冲の芸術というのはあり得なかった」と解説した。