看護師40年、80歳の今も週1勤務 鴨川の小板橋マサ子さん 海眺め「穏やかに暮らせますように」(千葉県)
16日は敬老の日です。年齢を重ねても、仕事や趣味に打ち込み輝きを増す、元気なシニアがさまざまな場面で活躍しています。そんな1人を紹介します。 終末期の患者が入院する、南房総市の有床診療所の緩和ケア病棟。有償ボランティアの看護師として週1回勤務する、小板橋マサ子さん(80)=鴨川市貝渚=は、40年前に取得した看護師の資格を現在も生かし、診療所の看護師らをサポートしている。モットーは「自立・自由・自己管理」。波乱万丈な人生を送ってきたが、現在は趣味や畑仕事も楽しみ、「働けることが生きがい。悩みもなく、元気で、充実しています」と屈託のない笑顔で語る。 1944(昭和19)年、福島県で9人きょうだいの7人目として生まれた。戦後の貧しい暮らしの中で育ち、中学を卒業すると集団就職を希望。川崎市の寮に住み、夜間の高校に通いながら、トランジスタ工場で働いた。 中学時代から文通していた同級生と、21歳で結婚。埼玉県で専業主婦として暮らし、3人の子どもを授かったが、夫の吉明さんが大病を患った。「私が生活を支えないと」。中学卒業時、両親に反対され諦めた「看護師」を目指すため、子育てしながら38歳で看護学校に入り、車の運転免許証も取得した。 子どもと家事を分担し、小学5年生の息子と一緒に勉強することも。試験対策のために看護の専門用語を書いた紙を、家中の壁に貼って暗記した。「大変だったけど、無我夢中だった」 看護師としてのスタートは、40歳。脳外科などで60歳の定年まで勤めた後、海に憧れ、温暖な外房地域に1人で移住した。「看護師の仕事が好き」で、その後も、勝浦市や鴨川市内の病院で、75歳までパートとして働いた。
現在は、鴨川市街や海を一望できる山の上に家を建て、野菜や花を育てている。畑を耕すのはもちろん、チェーンソーで伸びた木を伐採したり、刈払機で草を刈ったりも自分1人で。週2回のグラウンドゴルフとスポーツ吹き矢、高齢者の配食サービスの調理ボランティアにも参加している。 約1年前、市内で立ち上げた訪問ボランティアナースの会「キャンナス鴨川」の活動を知り、「空いている時間に、何かお手伝いできれば」と参加を申し込んだ。団体を通じて紹介があった南房総市千倉地区の花の谷クリニックで、再び看護師として働くことになり、毎週日曜日、自分で車を運転して出勤している。 「体を洗いますね」。入浴の時間、汗だくになりながら、手際よく、丁寧に、患者の頭や体を洗っていた。患者への直接的な処置は行わないが、入浴や食事の介助、おむつ交換、掃除など、主担当の看護師の補助的な業務を、てきぱきとこなす。診療所の看護師は「小板橋さんの優しい笑顔で、患者も自然と笑顔になっている。仕事も丁寧で、看護師の先輩として、いろいろ教えていただきたい」と話す。 大病を克服した吉明さんも、埼玉から時々訪れ、盆や正月は鴨川で家族と過ごす。孫6人、ひ孫6人にも恵まれた。「今こうして元気でいられるのは、必死の思いで取得した、看護師の資格と運転免許があるから。ずっと生活を支えてくれる、宝物です」とほほ笑む。 魚見塚展望台までの朝の散歩も日課の一つ。海を眺めながら、「今日も一日、穏やかに暮らせますように」と手を合わせている。 (安藤沙織)