津軽統一の拠点・大浦城(青森県弘前市) 本丸一部と西の丸の跡地、市に寄贈 「発掘、整備できれば」
青森県弘前市は今月中旬、大浦氏(のちの津軽氏)が約500年前に津軽統一の拠点とした同市岩木地区の「大浦城」跡地の一部計1万4千平方メートルの寄贈を受けた。桜田宏市長は25日、跡地を歴史学習の場として活用するほか、将来的に発掘調査などを進め、史跡としての整備などにつなげる考えを示した。 大浦城は1502(文亀2)年に大浦光信が建設した。本丸など六つの郭(くるわ)と水堀、土塁からなり、総面積約11万4千平方メートル。94(文禄3)年に弘前藩初代藩主・大浦為信が堀越城へ拠点を移した後も、1615(元和1)年の一国一城令まで支城として使われた。跡地はその後開発され、本丸に津軽中学校の校舎が建つほか、二の丸には同校グラウンドや宅地、西の郭には産直施設などが整備されている。 今回寄贈を受けたのは本丸の一部と西の丸の跡地。火薬庫があったとされる西の丸はリンゴ園として使われていたため、今も地下に遺構が残っている可能性が高いという。土地を所有する会社員葛西正人さん(62)=栃木県=の家系が代々受け継いできたが、葛西さんの母が亡くなり管理する人もいないため、寄贈を決めた。 25日、葛西さんへの感謝状贈呈式が市役所で行われ、桜田市長は「津軽氏の足跡をたどる上で欠かすことのできない城。将来、城跡として整備できれば」と述べた。津軽中の校舎の建て替え時期に別の場所へ移転させ、空いた本丸や二の丸と一体的に整備する方法などが考えられるという。 二の丸にあった家で生まれ育ったという葛西さんは取材に「子どもの頃、堀は田んぼになっていて、土塁はもっと高かった」などと振り返り「(跡地が)整備されたら孫を連れて来たい」と笑顔で話した。