中国人なのにイスラエルのパスポート…イスラエル内の移民の拠点「ハイファ」のアラブ人街で中華料理店を営む男性との出会い
アラブ人の街
3時間後、テルアビブから続く沿岸ハイウェイを走り、カルメル山を迂回し、宿のあるイスラエル第3の大都市ハイファに入った。そのころには、雨雲が消え、夕日が地中海を染めていた。 ハイファは、アラブ系とユダヤ系の共存のお手本のような町だ。人口の70%はアラブ系のクリスチャンで、ハイファの低地エリアに暮らす。 かつて国際連盟の英国委任統治領パレスチナに属していたハイファについて、英国は中東原油の中心的な輸出港にしようと投資していた。同時に移民の拠点にもなっていた。 8時。私たちは、衣料品店、香辛料店、自動車修理店、シシカバブ(肉の串焼き)料理店が軒を連ねるアラブ人街にいた。 横殴りの雨が上がり、街は輝いて見える。夜もこの時間になると、外に出てくる人はまずいない。数台の車がぼんやりとヘッドライトを灯して、たまに通り過ぎる程度だ。
イスラエルパスポートの中国人
「フライトは遅れました?」 ハメギニム通りにある「ヤンヤン・レストラン(欣欣飯店)」を訪れると、ウォンから声をかけられた。この世のものとは思えないほどの暴風雨だったと告げると、笑い出した。 キエン・ウォンは、日焼けした顔にがっしりとした体格の中背の男だ。その夜、白のセーターに身を包んだ彼は実ににこやかだ。 還暦祝いにベトナムに住む妹のクック(王章菊)がサプライズで駆けつけてくれたのだ。20年以上前にイスラエルに移住して以来の対面だった。クックの2人の息子も還暦祝いのためにカナダから帰ってきてくれた。 レストランは30席ほど。客のほとんどは、節約志向の旅行客と、通りの先に停泊する船舶の船員だ。その日は、モントリオールからやってきた家族が食事をしていた。 カナダ人の母親と娘、そして娘のボーイフレンドのイスラエル人だ。ウォンは、そのボーイフレンドともヘブライ語で難なく会話ができる。 ウォンは、香港とカナダに旅行したときの話を披露する。入国審査の際、中国人がなぜイスラエルのパスポートで旅をしているのか興味を持たれたという。 「うまい。これは絶品だ」 隣のテーブルで食事をしていたジョン・トラボルタ似の船員が感心している。ルイジアナ州出身だという。 「まさかイスラエルに中華料理があるとはねぇ」 『「イスラエルでこんなにおいしい中華が」…もともとは自動車工場で働いていたベトナム人難民が中華料理店を開いた単純すぎるきっかけ』へ続く
関 卓中、斎藤 栄一郎