「コウモリやトカゲがご馳走で、ムカデ以外はなんでも食べた」…極限の戦場を生き延びた「旧日本海軍の軍人」が、戦後についた「意外な職業」
私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日本人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
激戦を生き抜き弁護士へ
4月1日、2024年度前期放送のNHK「連続テレビ小説」として、日本初の女性弁護士を描く「虎に翼」が始まった。主人公・猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルとなった三淵嘉子は昭和15(1940)年に第二東京弁護士会所属の弁護士となり、戦後、裁判官になる。三淵の生き方とは異なるけれども、敗戦を機に「自由」と「権利」、「法の下の平等」を目指し、法律家の道を志した人たちのなかには、当時「職業軍人」と揶揄された旧軍人もいた。戦時中、海軍士官としてソロモン諸島の極限の戦場を生き抜き、戦後は弁護士となって東京・愛宕山で弁護士事務所を開業していた前田茂(1920‐2010)もその一人である。 敗戦を境に、日本人は価値観の一大転機を迎えた。一般市民はもとより、それまで「国のために戦う」以外の選択肢を持たなかった陸海軍将兵の全てが、一変した価値観のもと、否応なしに第二の人生を歩むこととなった。昭和20年大晦日の朝日新聞の記事によると、旧軍人の失業者は、陸軍290万人、海軍50万人に達したという。 前田も、そんな戦後の人生の選択を迫られた、数多くの将兵のなかの一人だった。 「大正に生まれ、昭和に戦いし若人は、平成に八十路を歩む。思えば波乱に満ち、起伏に富んだ人生を、私たちみんなが歩んできた。運命であったかもしれません。しかしながらその犠牲は、あまりに大きく残酷でした」 前田は、大正9(1920)年、静岡県生まれ。幼い頃に父親を亡くし、母親に女手ひとつで育てられた。中学校まで出してくれた母を早く楽にさせたいとの思いと、遠洋航海などで海外にも行かれるかもしれないという期待から、県立榛原中学校5年生のとき、官費で学べる海軍兵学校を志願。昭和13(1938)年、六十九期生として入校し、海軍の正規将校への道を歩んだ。