【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 全打席敬遠に突き進む馬淵監督「明徳をなめていた」見抜かれた星稜の隙(第2回)
「2点リードはものすごぐ大きかった」
馬淵監督が星稜の隙を見抜いたのは、明徳義塾が2点を先取した二回だった。 馬淵監督 最初のセンター前ヒットを(中堅の)清水君がファンブルして二塁打になって、おまけに捕逸で三塁まで行った。(5番)加用のバントはハーフスイングを取られてもおかしくないのに、ボールになった。おそらく低めの変化球を投げられたら三振だった。それが四球を与えてくれた。星稜がきちんと(4番)岡村のセンター前をシングルで止めていたら、どういう展開になっていたか分からない。ああいう作戦(敬遠)を取る上で、最初の2点リードはものすごぐ大きかった。
一方、林監督が明徳義塾の作戦に気がついたのは試合中盤だった。 林監督 3回目の敬遠、五回の時にこれはひょっとして徹底しているのかなと感じた。私たちは敬遠がどうこうという意識は全くなく、どうやって点を取るのかに集中した。これ以上、失点もできないぞと。 両者とも、ただ勝つためだけに冷静にどうすべきかを考えていた。しかし、グラウンドの外では敬遠策が続くにつれて騒動が大きくなり始めていた。(つづく=9回連載予定)
5打席連続敬遠
第74回全国高校野球選手権2回戦で、明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った敬遠策。第1打席は一回2死三塁、第2打席は三回1死二、三塁、第3打席は五回1死一塁、第4打席は七回2死走者なし、第5打席は九回2死三塁からの敬遠だった。第4打席になるとスタンドから「勝負、勝負」と怒声が上がり、第5打席の敬遠後にはスタンドからメガホンなどが投げ込まれ、一時中断した。試合は3―2で明徳義塾が逃げ切った。試合後に日本高校野球連盟の牧野直隆会長(当時)が異例の記者会見を行い「敬遠も作戦の内だが、走者のいない打席は勝負してほしかった」と述べた。「ルールに基づく戦術」「勝利至上主義」と賛否両論が起こった。
明徳義塾
1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。