「裕次郎とオレと3人で、日本映画の斜陽化を遅らせることはできたはずだ」…小林旭が語った21歳「伝説のスター」の衝撃的な死
日本映画界の斜陽
そのダイヤモンド・ライン参加の第1作が「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜 」 (1960年 )で、これがヒット。以後、「拳銃無頼帖」はシリーズ化され4作が作られる。最後の作品は「紅の拳銃 」(1961年)で、事故はその封切3日後に起きたのだった。 赤木の死とともに、日活の、そして日本映画の黄金期に翳りが見え始める。 「結局、30年代後半の『渡り鳥』シリーズを最後に、日活はロマンポルノに路線を変更していくことになるわけだが、赤木が生きて、あのまま育っていれば状況は間違いなく変わっていたろうよ。 例えば、昭和40年代の頭に、裕次郎とオレと赤木の3人で何かを仕掛けたかもしれない。そこへ渡(哲也)とか高橋(英樹)が入ってきて支える。そんな映画界に活を入れるような、新たな屋台骨を築くような計画を実行したかもしれないね。少なくとも、日本映画界の斜陽化を遅らせることはできたはずだよ」(小林旭) その死はまさに時代を画するものであったのだ。
黒井克行(くろい・かつゆき) 1958年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家。人物ドキュメントやスポーツ全般にわたって執筆活動を展開。主な著書に『テンカウント』『男の引き際』『工藤公康「42歳で146km」の真実』『高橋尚子 夢はきっとかなう』など。 デイリー新潮編集部
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