「どっちなんだよ」のままで終わらせてはいけない作品。沖縄在住の劇作家・兼島拓也と新たに出演する・中山祐一朗が語る2024年版『ライカムで待っとく』
初演から1年半の社会の変化も反映できれば
――先ほど中山さんがおっしゃった、長塚さんの激推しに納得した理由について具体的にお聞きしたいです。 中山 単純に、お芝居で表現するのに適した戯曲の書き方をされている作品だなと感じましたね。長塚君は若い頃、“テレビドラマのような戯曲を書く人”みたいに評されていて、でも途中でいきなり「演劇でしか表現出来ないものをやらなければ」といった使命感に燃えて、周りを巻き込み(笑)、転換していったんですよね。そんな彼にとって、とても気に入った方法で表現されている作品なんだなと思いました。長塚君は「演劇だからこうしなければいけない」とか頭でっかちに考えているところもあると思うんですよ。でもその頭でっかちな彼が脳みそホワ~ンとなって「これ好きだな」と思える作品、そんなふうに感じました。さっきから長塚君の話ばかりしているのは、僕にとっての一番の物差しが彼だからなんですけど(笑)、前に劇団の舞台を観に来られたある先輩俳優さんが、「どっちなんだよ!?」って笑いながら一言、感想を言って帰られたんです。まさしくその通り、結末をはっきり提示しないのが長塚君の作劇のスタイルで、この『ライカムで待っとく』もそういった“分からない魅力”があるように感じて。分からないからもう一回観たくなったり、戯曲があれば読んでみたいと思わせる、そういう迷宮に誘い込む感じの面白さは長塚君の作品と似たものを感じます。でも、これは「どっちなんだよ」のままで終わらせてはいけない作品なんだろうなと。考えなければいけない問題と向き合わせる作品、そこが決定的に違うところかなと思いました。 兼島 沖縄に今ある問題……、まあ沖縄だけの問題ではありませんけど、やっぱり沖縄の人間は「どっちなんだ」ということをつねに問われ続けている立場ではありますね。どちらか分からない状態でもどちらかに決めなければいけない、そうつねに質され続けていて、“決める”と“決めない”のあいだでずっと揺れ動いているようなところがあります。政治的にどちらかに決められない状態なのに国の決定が頭から覆いかぶさって来る、といったようなことも頻繁です。そういう全体の構造についても書きたかったので、中山さんの今のお言葉で、書きたいと思った部分をちゃんと見てもらえた、届いていると感じられて嬉しかったです。その部分はちゃんと出来ていたのかな、と思えました。 ――お話のように、決めるか決めないか、どちらなのかと揺れ動くのは沖縄の人だけでなく、日本に生きる我々全体の立場でもあると感じられたからこそ、初演が多くの観客の心に響いたのだと思います。中山さんが演じる神奈川県在住の雑誌記者・浅野は、妻の祖父の葬儀のために沖縄を訪れますが、ひょんなことから60年前の沖縄で起きた米兵殺傷事件について調べることになります。この浅野はどういう役割、思いを託して生まれたキャラクターなのでしょうか。 兼島 浅野という人物が立ち上がっていった段階をお話しますと、最初は、KAAT神奈川芸術劇場に「作品を書いてほしい」と依頼された僕自身の立場を上手く作品に投影出来ないかな、ということが出発点でした。作劇上、歴史的な事柄を説明していく必要性があったので、沖縄の人間の立場ではなく、県外の人が沖縄で実際にあったことを知っていく、それが観客の皆さんと共有される、そういうことを狙って“県外でライターの仕事をしている人”というキャラクター設定となりました。この設定でどうなのかな、大丈夫かなといろいろ考えていくなかで、KAAT館長の眞野さんが「この戯曲、これを書いてほしいと依頼したKAAT自体に対しても挑発しているね」って、嬉しそうな感じでおっしゃってくれたんですね。それで、KAATがこの作品を作っている、その構図自体も批評的に捉えることが出来ればいいかなと考えて、そのための一番入りやすい形として浅野という主人公を立ち上げていきました。 中山 でも、僕と初演の亀田さんではだいぶ雰囲気が違いますよね。 兼島 今、中山さんと佐久本さんに合わせて少し脚本を直しているところです。佐久本さんも初演の南里さんより若い方なので、もう少し若い設定に変えようと。 中山 そうなんですね。僕はわりと“芝居をしないふうに演じる人”と思われていると自分で思っているんですが、初演の映像で見た主人公のようにライトに事を運ぶべきなのか、それとももうちょっと何か思いを込めた感じがあったほうがいいのか、そこは面白いところですね。あと、佐久本君のほうはかなりキャラクターが変わりそうですよね。なんとなく、ですけど。 兼島 そうですね。沖縄本土復帰50年を迎えたのが初演の時で、その後の本土からの沖縄への見方、たとえば報道のされ方に関しても少しずつ変化があるのかなと思っているので、中山さんがおっしゃったライトな感覚が、1年半前と今では受け取られ方が違うかもしれないなと。そういったことも今、田中さんやスタッフとのミーティングで、たとえば「語尾は違うほうがいいんじゃないか」とか「ここまで言ってしまうと露悪的過ぎないか」みたいにして話し合っている最中なんです。この1年半での社会自体の変化、変わっていない部分も含めて、この再演に反映出来ればいいなと思っています。 中山 劇の序盤、沖縄のタクシーに乗るシーンで、浅野はタクシーの運転手にマウント取られる感じで会話が進むじゃないですか。その運転手を今回は佐久本君が演じるから、若者にマウント取られる感じになるのかなと。それがちょっと楽しみですよね。若者って政治のこととか考えてなさそうに思うけど、やっぱり沖縄に行ってみると、若者ですら何かを引きずっているんだろうな……といったリアルな空気が生まれる可能性がありますよね。