森見登美彦に惚れ直した…人生をこじらせたシャーロック・ホームズが「京都」に? 幾重もの仕掛けがある物語(レビュー)
森見登美彦に惚れ直した。 感想は、それに尽きる。四年ぶりの新刊『シャーロック・ホームズの凱旋』は意外にも、史上最も有名な探偵物語のパスティーシュであった。だが森見が書けば、単なる贋作で終わるわけがない。どんな企みがあるかと手に取る前から期待は膨らんだ。 ホームズがスランプのため休業に追い込まれている、という状態から話は始まる。相棒のジョン・ワトソンや家主のハドソン夫人は心配し、彼を立ち直らせようとするのだが、当の探偵は下宿の新しい住人であるジェイムズ・モリアーティ教授と、心の傷の舐めあいをするばかりで、少しも前向きになってくれない。 さらなる打撃は、高い知性を持つ女性、アイリーン・アドラーが探偵事務所を開業したことだった。彼女が名声を得たことにより、ホームズの存在はいよいよ霞む。ついに探偵は、ふらりと姿を消してしまった。 序盤で描かれるホームズは、森見がこれまで幾度も書いてきた、人生をこじらせた主人公そのものである。幾重にも仕掛けのある小説なのだが、この人物描写もその一つだ。いかにも森見作品という出だしから始めておいて作者は、ホームズ原作の世界へ次第に物語を近づけていく。本作を構成する部品は、ほぼドイルの原典から採られているのである。 不思議なのは舞台が十九世紀末のロンドンではなく、ヴィクトリア朝京都に設定されていることだ。ホームズの住所も寺町通二二一B。なぜ京都なのか、という疑問に対しては意外すぎる答えが準備されている。『熱帯』(文春文庫)でも使われた、先行作品を換骨奪胎する技巧が魅力的な形で使われているのだ。 物語構造が明らかにされる後半部は、複数の光を重ねて作られるホログラムのようである。現実と見紛うものが本当はそこにない虚像であるというありようは、小説の本質を示している。選び抜かれた言葉で築かれた世界、蜘蛛の糸で織った裲襠。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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