『日本一の最低男』は“王道ホームドラマ”の予感 副題「※私の」は一体誰のことなのか?
香取慎吾が主演を務める『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系)が1月9日にスタートした。香取がフジテレビ系列の連続ドラマに出演するのは『SMOKING GUN~決定的証拠~』以来11年ぶりであり、連ドラ自体もテレビ東京系の『アノニマス~警視庁“指殺人”対策室~』以来4年ぶりとなるだろうか。 【写真】いい意味でお父さんに見えない、志尊淳の爽やか過ぎる笑顔 テレビ局でプロデューサーとして働いていたものの不祥事を起こして退社した大森一平(香取慎吾)がひとりで暮らす家に、半年前に亡くなった一平の妹・陽菜(向里祐香)の夫である義弟・小原正助(志尊淳)とその娘で小学生のひまり(増田梨沙)と保育園児の息子・朝陽(千葉惣二朗)がやってくる。彼ら3人と“家族”として同居し、家事や育児も何でもやると言う一平だったが、そそっかしい朝陽と心を開かないひまりに苛立ちを隠しきれない。実は一平は、区議会選挙に出馬して当選するためのアピールとして、正助たちとの同居を提案したのだった。 冒頭から電話をかけながら「“ホームドラマ”を完璧に演じてみせる」という言葉があるように、一平には明確な、それでいて極めて打算的な思惑があることを背景にして家族のストーリーが描かれていく点で、いわゆるホームドラマの類とは一線を画すようなタッチのドラマのようだ。とはいえ、このような物語こそ、最終的にはオーソドックスなホームドラマのようなスタイルが落としどころになるのではないかと想像できなくもない。 すなわちそれは、主人公である一平が義弟とその子どもたちとの関わり合いを通して変化していく様、しかもすでにタイトルの時点で一平が“最低男”と明示されている以上、少なくとも“最低ではない”方向へと変化するだけで足りるものだ。この第1話では「任せとけ」と大見えを切っておいて、洗濯を失敗し料理を失敗し、掃除も適当で、保育園からの呼び出しで困り果て、家事代行や配達を駆使した挙句、朝陽のアレルギーを見落として大ごとになってしまうという非常にわかりやすい描写をもって一平の奮闘が描かれていく。 “イクメン”という絶妙に古ぼけてみっともないワードを嬉々として自らにあてがい、比較的昭和的な価値観で子どもたちに接し、大人でありながらもかえって子どもじみた態度を見せる一平。とはいえ、母親の死を自分のせいだと思い込んでしまっている朝陽に説明を試みる際に言う「大事なことは大人も子どもも関係ない」という言葉だけは的を射ている。子どもに接してこなかった一平だからできる、子どもを子どもとして扱わないことの必要性。もちろん子どもを子どもとして扱うべきところも多くある以上、その塩梅が求められるのだが。 なにはともあれ、朝陽に幼い頃の自分を重ね合わせ、一見心を通わせたように見せつつも、政治家になるという野望のために変わらず「“ホームドラマ”を演じる」と口走る一平の二面性。視聴者にとっても一平の内面が判然としない点が、このドラマを興味深いものにしていくことだろう。ところでタイトルの「私の家族は~」の「私」が誰なのかは気になるところである。
久保田和馬