今も苦しむカザフスタン核実験被害者の証言 被爆国日本への要望も
「核の被害とたたかう人々」と題したイベントが10月5日、東京都渋谷区で開かれ、カザフスタンの核実験被害者の証言映像の上映や、現地を取材したジャーナリストらの報告があった。 主催したのは、今年4月に発足した一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」。カザフスタンの旧セミパラチンスク地区では、旧ソ連時代の1949年8月から89年10月まで、40年以上にわたって計450回以上の核実験が繰り返された。核実験場は91年に閉鎖されたが、多くの人々が後遺症などで現在も苦しんでいる。被害国であるカザフスタンは、2025年3月にニューヨークで開かれる核実験禁止条約第3回締約国会議の議長国になっている。 イベントではまず、被害者の証言映像『私は生き抜く~語られざるセミパラチンスク~』が上映された。「中学2年の姉が亡くなった。核実験の爆風が原因と思われる」「自分も皮膚がんだと宣告された。白血病に苦しみ、やがて死んでいく姿を見てきた」といった証言が次々と続いた。ある高齢男性は「1945年に戦争は終わったが、私たちの村では戦争は終わっていない。毎日(核被害で)亡くなる人がいる。私たちはいまだに苦しんでいる」と語った。 映像の中では、人々が核実験に反対する活動に取り組んだことも紹介された。また「カザフスタン政府から核被害者に対する支援がほとんどなかった」と指摘する証言も多かった。 映像の制作に協力した創価学会インタナショナルの平和・人権部長、砂田智映さんは、映像の解説の中で「核兵器の必要性について『自国の安全保障のため』とされるが、自国の国民をこれほどまでに危険にさらしておきながら、核兵器が守るのは誰の安全保障なのか」と語気を強めた。
政府から薬代支援もなし
続いて、『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)の著者でジャーナリストの小山美砂さんが、今年9月にカザフスタンを取材した模様を報告。「取材で見えたこと」として、①現在進行形の核被害、②カザフスタンのダブルスタンダードの二つを挙げた。②については、「カザフスタンは被ばく国として、『被害者援助を頑張るのだ』と国際的にアピールしているが、『国内の被害が見えていますか』ということを感じた」と説明した。 小山さんは写真や動画を紹介しながら、取材場所の現状や人々の証言を報告した。核実験場に隣接するサルジャル村の74歳の女性は「首吊り自殺する若者が多い。政府は薬代も支援してくれない」と話していた。この村にはほとんど営業していないような診療所が一軒あるだけで、人々は「救急車が来てくれないから、何かあったら自分たちで助け合って、市街地まで3時間かけて車を運転していくしかない」と言い、小山さんは「どれだけ医療体制が整っていないかを感じさせられた」と語った。 報告の締めくくりで、小山さんはカザフスタンの人々からの「広島・長崎の被爆者とつながりたい。私たちを日本に呼んでくれ」という要望に触れ、「広島・長崎の経験を手渡していくこと。日本には被爆者への医療支援や被爆者援護法の歴史がある。それを国際的に生かしていくことを考えていくべきではないか」と日本の役割について指摘した。 最後に登壇した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲さんは、8月にカザフスタンの首都・アスタナでICANが開いた「核被害者フォーラム」の参加報告を行なった。フォーラムにはカザフスタンの被ばく者に加え、日本の被爆者、韓国、マーシャル諸島の関係者などが参加した。川崎さんは、核被害者支援に関する提案の中に「核被害者2世、3世を含む世代を超えた被害を認識すること」「『我々に関する事柄は我々抜きで決めてはならない』の理念に則った、国の行動計画やプログラムの立案・実施に、当事者が代表され参加する権利を認識すること」などが盛り込まれていると紹介した。
竪場勝司・ライター