ケリー・リンク 著/金子ゆき子 訳『白猫、黒犬』を橋本輝幸さんが読む(レビュー)
事件なのか? 魔法なのか?
事件だ。十年ぶりにケリー・リンクの短編集が出る。しかも抜群に面白い。 リンクの著作を読んだことがない人に魅力を伝えるのは難しい。なにせ鵺(ぬえ)や麒麟(きりん)のような作風だ。一部分に注目すれば見覚えがあるものの、全体を見ればギョッとするほどなじみがなく分類に困る。 彼女は二〇〇一年に第一短編集『スペシャリストの帽子』を自主出版し、日本では二〇〇四年に翻訳出版された。四半世紀近く経ってもなお、その小説の巧(うま)さは模倣不能である。変化といえば、知る人ぞ知る作家からジャンルの垣根を越えて広く評価される作家になったくらい。 創作講座でデビュー前の彼女を指導していた作家カレン・ジョイ・ファウラーいわく「すでに私より上手に小説を書いていたから、講座に参加する意味が全然ないと思った記憶があります」。リンクはそれほどにマジカルでワイルドな奇才だ。写実小説や娯楽のための脚本術のもてなしに慣れた読者は戸惑うだろう。舗装された車道しか知らない人が獣道に案内されたら、ためらうに決まっている。そもそもこれ道なの? 入って大丈夫? 本書にはおとぎ話から着想された七編が収められている。舞台を現代に換えたものも多いので、都市伝説と呼ぶほうがイメージに合うかもしれない。原作は有名作品だけではないし、しばしば原形を留めていない。父親の無理難題に応じる息子の話や、かつて婚約者から略奪した夫を略奪し返されて、地獄へ取り返しに行く男の話は序の口だ。ユーモラスな作品とその細部(猫の大麻農場あり、アイスランドあり)に気をとられているうちに読者は本の奥地に分け入っていく。見知らぬ怖い場所だ。近づいてくる白い道、雪の日だけ会える男、破ってはいけないルールつきの留守番……状況の異様さと対照的に主人公たちはいたって普通の人物だ。かたずを呑んで見守るうちに物語はおしまいとなり、私たちは本を読み終わる。これが事件でなければ何なのか。魔法? 橋本輝幸 はしもと・てるゆき● 書評家 [レビュアー]橋本輝幸(書評家) 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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