「英語が話せなくても哲学話はなぜか通じる 国は違えど壁にぶつかることは同じ」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】この記事の写真をもっと見る * * * メキシコでのホームステイで何が一番心配だったって、それはもちろんコトバが通じないこと。他人さまのお宅に厄介になるのだから何をするにもコミュニケーションが重要なのに、当方スペイン語はもちろん、英語も元々苦手な上に今やあらゆる単語をすっかり忘れ、確実に中学生以下のレベルである。 だがそこで躊躇していたら一生こんな体験はできないわけで、簡単な自己紹介の挨拶(スペイン語)だけ飛行機の中で必死で覚えてエイヤーと現地へ。で、どーなったんだと言うとですね。 何とかなったのであった。 もちろんスペイン語は全くわからず、だが困ったときはアイフォンの翻訳アプリで複雑なことも要所要所で伝え合うことができた。便利を遠ざけて生きる身だが、初めて使ったらいやもう神だナとちゃっかりおすがりする。
とはいえ本当に伝えたいことがあった時、なぜかアプリの存在はさーっと後ろに引くのである。これは本当に不思議なんだけど、人生の悩み、家族の悩みなど、いろんなメキシコ人の方々と、相当に深い哲学的な話を、互いにおぼつかない英語で延々と話し合ったこと数知れず。そういう時って、なんだかお互い同じ波に乗るような感じになって、たとえ肝心なところで肝心な単語が出てこなくとも「ユーノウ?」「アイノウ!」でおそらく完璧にお互いの心がわかるのである。 結局、コミュニケーションとは言葉以前のものが案外大きいのだろう。それは何なのかというと、結局「人生」であり「苦しみ」なのではないだろうか。どこの国の人であれ誰しも一生懸命生きていて、あれこれの壁にぶつかることにおいては何ら変わりないのである。つまりはお互い必死に生きてさえいれば、ちゃんと理解し合うことができるのだ。 外国語が話せないことがずっとコンプレックスで、若い頃は散々教材を買い挑戦と挫折を繰り返してきた。でもそういうことじゃなかったのかもと今にして気づいたのである。 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行 ※AERA 2024年4月1日号
稲垣えみ子