「米音楽界の巨人」クインシー・ジョーンズが、私たちに残してくれたもの
<飢餓救済チャリティーソング『ウィ・アー・ザ・ワールド』で、個性とアクの強いトップアーティストたちを見事にまとめ上げた唯一無二の才能>【木村正人(国際ジャーナリスト)】
[ロンドン発]世界で最も売れたアルバム、マイケル・ジャクソン(故人)の 「スリラー 」をプロデュースした20世紀で最も影響力のある米音楽界の巨人クインシー・ジョーンズが11月3日、カリフォルニアの自宅で安らかに息を引き取った。91歳だった。 【動画】「泣かされた」 マドンナが大絶賛したマイケル・ジャクソンの生涯を描いたミュージカル クインシー・ジョーンズは『質屋』(1964年)、『冷血』(67年)、『カラーパープル』(85年)など映画音楽の作曲家、レコード・プロデューサーとして成功を収め、グラミー賞に80回ノミネートされ、28回も受賞した。 その成功ですら彼の才能に比べるとささやかなものに過ぎない。 筆者が大学生だった81年、クインシー・ジョーンズがカバーしたディスコ音楽『愛のコリーダ』が大ヒットした。 85年にはライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソンら米国のトップミュージシャン45人以上が参加した飢餓救済チャリティーソング『ウィ・アー・ザ・ワールド』をプロデュースする。 ■「何のしがらみもないあなたが選ぶしかない」 今から40年前の84年、エチオピア飢饉で推定60万~100万人以上が亡くなった。国際赤十字のエイドワーカーとして働いていた英国人女性クレア・バートシンガーさんは「1000人の飢えた子どもを目の前に食料を与えられる60~70人を選ぶのが私の仕事だった」と振り返る。 現地スタッフは「飢えているのは私たちの家族であり、いとこであり、友人だ。何のしがらみもないあなたに選んでもらうしかない」とクレアさんに助ける命を選択する過酷な仕事を委ねた。失われる930人超の命より、救える60人余の命だけを見つめ、神の許しを乞う毎日だった。 現地の惨状を伝える英BBC放送を視たアイルランド出身のロック歌手ボブ・ゲルドフは「おれたちにできることは何か」という衝動に突き動かされる。バンド・エイドを結成し、クリスマス前にチャリティーソング『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス』をリリースする。 ■「黒人を救う黒人はいない。それについてどう思う」 この動きが『ウィ・アー・ザ・ワールド』につながっていく。『バナナ・ボート』の大ヒットで知られ、国連児童基金(UNICHF)と協力してアフリカ支援を展開していたハリー・ベラフォンテ(故人)はプロデューサーのケン・クレーゲン(同)を通じてライオネル・リッチーに連絡を取る。 ライオネル・リッチーは英ドキュメンタリー映画『スタンド・トゥギャザー・アズ・ワン』の中でこう明かしている。 「ハリーは私に電話をかけてきてこう言ったんだ。白人(ボブ・ゲルドフ)が黒人を救う。それは素晴らしいことだ。でも黒人を救う黒人はいない。それについてどう思う、ライオネル、と」