<ベトナム>12の墓 ── 高橋邦典フォト・ジャーナル
ドゥー・ドゥック・ディウは北ベトナム軍の兵士として、1971年から4年以上ラオス国境に近いア・シャウ渓谷で戦った。何度も米軍機から噴霧された枯れ葉剤を浴びたが、それは時に服がぐっしょりと濡れるほどの量だったという。戦争が終わり、ディウさんは妻との間に子供をもうけるが、生まれるたびに次々と死んでしまう。みな死産か流産、または3歳になる前に亡くなり、15人のうち、生き残ったのは3人だけ。そのうち19歳のハンは、脳に水がたまる病気のうえ、歩くことができないし、15歳のガーは重度の脳性まひのような症状を患っている。死んだ子供たちの多くは、頭が肥大していたと、医者に言われた。
ディウさんと話していると、突然車椅子に座っていたハンが痙攣をおこし、手足をばたばたさせはじめた。両親が彼女を床に移し、頭と体を押さえながら見守るが、痙攣は繰り返しハンを襲い続ける。45分ほどたったろうか、ようやく症状が落ち着いたときには、彼女は大汗をかき、ぐったりと疲れてしまったようだった。 「ごめんなさいね」 車椅子にもどったハンが、英語で僕らに謝った。こんな田舎で、片言でも英語を話す人は珍しい。独学で学んだという。こんな障害をもちながらも陽気でよく笑う彼女は、聡明なティーンエイジャーでもあった。
「時々、一晩中痙攣が続くこともあるのです」 ディウさんが言った。 「私の身体も年々悪くなっていく。頭痛がひどいし、目もよく見えなくなってきた。娘を抱えることも難儀になったし、将来どうやって彼女たちの世話をしていけばいいのか?政府から幾ばくかの援助はあるけれど、暮らしていくにはとても足りないよ。私たちのような家族は山ほどいるのだから」 家の裏手にある丘の上に、亡くなった12人の子供達の墓があった。 ガーを肩に抱き丘を登ったディウさんは、束ねた線香に火をつけ、一つ一つの墓石に何か声をかけていく。傾き始めた午後の日の光が、線香から立ち昇る白煙を眩しく浮き立たせた。 「ベトナム人もアメリカ人も、もう敵同士ではありません。だけど、枯れ葉剤を撒いたことに対する責任はとるべきだと思います。アメリカ人はここに来て、私たちの暮らしをその目でみてもらいたい。娘たちがどんな思いで生きているか、彼女たちと話をしてほしい」 (2009年6月) ---------------- 高橋邦典 フォトジャーナリスト 宮城県仙台市生まれ。1990年に渡米。米新聞社でフォトグラファーとして勤務後、2009年よりフリーランスとしてインドに拠点を移す。アフガニスタン、イラク、リベリア、リビアなどの紛争地を取材。著書に「ぼくの見た戦争_2003年イラク」、「『あの日』のこと」(いずれもポプラ社)、「フレームズ・オブ・ライフ」(長崎出版)などがある。ワールド・プレス・フォト、POYiをはじめとして、受賞多数。 Copyright (C) Kuni Takahashi. All Rights Reserved.