「政治的」「思想の押し付け」朝ドラ『虎に翼』への批判が的外れなワケ。ただ気になったのは
一言、言えば済むことを
直接的なメッセージの有無に関わらず、作品が作品である以上は、当たり前にソーシャルでポリティカルだということ。だから、いちいち、社会派だの政治的だのと議論するのが、そもそも野暮な話なのだ。 ただし、作品とは作り手のメッセージを語り、伝えるための道具(手段)ではないことも理解しておく必要がある。『虎に翼』の場合、第23週の原爆裁判あたりから、加速度的に問題提起と解決のための議論を繰り返す説明的場面が増えた(尾野真千子によるナレーションしかり)。 これが後半部に感じる「箇条書き」的で現代史の授業のような印象を強めた。授業のための資料映像ならまだしも、本作はエンタメ的なテレビドラマだ。どれだけ社会的に意義があるメッセージを込めようとも、なるべく慎ましく簡潔に伝える工夫をしなければならない。 はっきり言ってしまえば、一言、言葉で言えば済むことをわざわざ映像表現でやらなくてもね……、という。映像とは言葉よりもっとパワフルなメディアである。長く説明的な会話は映像表現を間延びさせる。 前半部は演出面を含めた映像表現が抜群だっただけに、後半部は脚本レベルのメッセージ性をきれいに再現するための映像の羅列にしか見えなかった。
エンタメと政治が切り離せない好例
例えば、前半部には(社会的・政治的)テーマ性と映像表現が見事に噛み合った場面があった。それは明律大学女子部を卒業した寅子が、猪爪家の食卓でビールを飲んで、へべれけになる祝宴。 深川麻衣主演映画『パンとバスと2度目のハツコイ』(2018年)でも片手に持ったビールがやけに様になっていた伊藤沙莉が、朝ドラでもやっぱりビール場面できめてくれる。なんて思い嬉しくなってしまったが、寅子による痛快な喉越しと痛飲が伝えるのは、太平洋戦争が開戦して激動の時代が迫る前夜との対比であったこと。 楽しい場面のすぐ隣にとてつもないテーマ性が顔をのぞかせ、画面上でオーバーラップしていた。エンタメと政治が切り離せない好例ともいえる場面だが、それをさりげない演出の計算と配慮で描写したことに、本作前半部の圧倒的力強さと品格があった。 でもそういう素晴らしい場面に限って、昭和10年代の女性が大ぴらにビールを飲むことがあるのか?みたいな難癖的な意見がネット上を飛び交うこともあった。まぁそんな横やりでさえ、寅子の口癖である「はて?」と一言疑問符で返しておけば、簡単に済んでしまうことかもしれないけど。