西はオリから阪神FA移籍投手成功せずの悪しきジンクスを打ち破れるのか?
オリックスからFAを行使した西勇輝(28)が7日、阪神入りを表明した。西は古巣のオリックス、ソフトバンクと交渉していたが、この日、阪神は3度目の交渉では矢野監督が直接出馬。阪神の誠意に打たれた西が最終決断した。矢野監督は来季の開幕投手候補として西に大きな期待を寄せているが、オリックスから過去にFAで阪神に移籍した2人の投手はいずれも失敗に終わるという苦い過去がある。 オリックスから阪神にFAで移籍した選手は、西が6人目。特定球団へのFA移籍数でいくとダントツのトップだ。同じく関西を本拠地にする2チーム。西も「環境を変えたくなかった」ことを移籍理由のひとつにあげたが、引越しや家族の学校の転校問題などに頭を悩ますこともなく、今の生活環境のまま、条件がアップ、しかも人気球団に移籍できるという複数のメリットがあるため、一時期、オリックスから阪神へのFA流出が後をたたなかった。オリックスは阪神の“草刈場”となっていた。しかし、そのオリックスから阪神にFA移籍してきた選手で成功した人物は少ない。暗黒の歴史、悪しきジンクスとなっている。 第1号は、1993年のオフの石嶺和彦。当時、33歳。1年目の成績は130試合にフル出場して、打率.246、17本塁打、77打点だった。数字的にはほぼ横ばいで成功の部類に入る移籍だが、2年目以降、膝の故障に苦しみ成績が急落した。DH制がなく外野守備が負担となり3年目は26試合出場にとどまり在籍3年で引退した。 石嶺入団の翌年には、続けて36歳の山沖之彦がFA移籍したが、一度も調子が上がらないまま1軍登板はなし。「肩に力が入らない」。最悪の状況に陥って、そのオフにユニホームを脱ぎ、当時、フロントの調査不足が大きな問題になった。山沖は移籍前年には21試合に投げ7勝4敗の成績を残していたのだが……FA移籍選手の1軍出場ナシの記録は山沖だけだ。 3人目は2000年の“星の王子様”と呼ばれた左腕の星野伸之。当時34歳。山沖のトラウマからかオリックスからのFA獲得はしばらく見送られていたが、野村克也監督が久万オーナーに直訴して獲得に乗り出した。開幕投手に抜擢されたが、打線の援護がないまま、9回無失点に抑えても勝てない試合があるなど勝ち星に恵まれず、そのうち遅球とカーブのコンビネーションもセ・リーグの打者に慣れられた。序盤KOも目立ち、ローテーを守りながらも、初年度は5勝10敗の成績に終わった。2年目も開幕投手に抜擢されたが、その後、体調を崩すなど、結局、在籍3年で引退となった。阪神での勝ち星は8勝だった。 星野氏は、当時、オリックスと阪神の環境の違いへの戸惑いを度々、口にしていた。マスコミの数の違いに熱狂的ファン。好投を続けても勝ち星がつかなければ「勝たなければ」の大きなプレッシャーがのしかかってくる。しかも当時の阪神は打線も貧弱で弱かった……。 その後は、2013年に捕手陣の強化のために日高剛を取ったが、大きな戦力とはならず、2年目は、ほとんど2軍暮らしでオフに戦力外通告を受けて引退。2017年から4年18億円の大型契約で加わった糸井嘉男(37)は、故障が目立つようになり、移籍初年度の数字は、前年度と遜色なかったが53盗塁は21盗塁に激減。今年も怪我に泣き、球団内部からは「糸井の獲得は失敗ではなかったが、大成功でもなかった」の声が聞こえてくるほど。糸井の加入初年度にチームは2位となったが、今季は最下位で糸井獲得に奔走した金本監督がユニホームを脱ぐ形になった。 成功の部類に入る糸井以外、阪神はオリックスからFA移籍した選手の“墓場”となってしまっている。西は、その暗黒の歴史を塗り変えることができるのだろうか。