巖さんの精神世界に「少しでも近づきたくて」 袴田姉弟を記録し続けたジャーナリストが描く「再審無罪」までの軌跡
●再審決定の日「釈放される」と思っていなかった
――世間と距離を置いて生きざるを得なかったひで子さんにとって、笠井さんは個人的なお付き合いができる方だったのでしょう。 たまたま波長が合ったのかもしれません。事件のことはすべて承知の上で、お互い取材どうこうではなく個人的なお付き合いをしています。ひで子さんにとって、私は他のメディアの方々のように取材をする記者ではなくなっているのかもしれません。個人的な付き合いが続いたのは、やはり、ひで子さんが非常に魅力的な人だったからです。 ――整理整頓された自宅の様子、袴田さんの釈放後の暮らしぶりから、お二人の、人としての品を感じました。 映像の中でもいつもお部屋が整然と片づいているように、ひで子さんはすごくきちんとした方で、本当にその居住まいに、人柄に品が表れているなと私も感じています。巖さんも、犯罪者とは程遠い人であることがその生活ぶりから伝わると思うので、その辺りも観る人に感じてもらえればと思っています。 ――再審決定と同時に袴田さんが釈放された2014年3月27日のことを聞かせてもらえますか。 私は前日からひで子さんの家に泊まっていたのですが、当日は朝6時頃から記者の方々が自宅に取材にやってくる中、裁判所に向かうひで子さんに付き添いました。長い裁判の中で、再審開始決定が初めてだったこともあり、静岡地裁の決定への反響はとても大きかったです。「どんな決定になるにしろ、巖に伝えにいく」。決定前からそう決めていたひで子さんは、静岡での記者会見を途中で抜けて東京拘置所に向かいましたので、私も同行しました。
――釈放が決まったのはいつだったのですか。 決定文に「死刑執行と拘置の停止」と書かれていましたが、検察が異議申し立てをする可能性もあるし、裁判所がどう対応するかもわからないので、誰も今日の今日、釈放されるとは思っていませんでした。 東京拘置所に着いたのは15時半頃です。当時、巖さんはひで子さんの面会にも応じていなかったので、ひで子さんは3年半ほど巖さんに会えない状況が続いていました。この日は、看守さんが巖さんを面会室に連れ出して、ひで子さんと弁護士さんは何とか面会できたんです。 しかし巖さんは、いくら「再審開始だよ」と一生懸命伝えても、「嘘だ」と言って信じようとしなかったそうです。とにかく顔を見ることができたので帰ろうと思っていたら、ひで子さんが係の人に呼ばれて、お金や荷物を返すといわれ、その直後、巌さんと応接室で直接、会うことができたそうです。 ――ひで子さんの面会中、笠井さんはどうされていたのですか。 私はカメラを持っていたので拘置所内に入ることができず、敷地の外にいました。この日、あるテレビ局がひで子さんに密着取材をしていたのですが、テレビ局の方から「弁護士さんに(局が用意している)ワゴン車を貸してほしいと頼まれたので、笠井さんも車に同乗してほしい」といわれて。 情報が錯綜していて、釈放されるかどうか誰もわからない状況の中、わけのわからないまま、私も車に乗りました。その後、巖さんたちが拘置所の玄関に現れて、ワゴン車に乗り込んできたわけです。47年7カ月ぶりに拘置所の外に出て以降のことは、映画にもある通りです。 ――誰も、状況をよく把握できない中で釈放されたのですね。 メディアの追跡を心配したワゴン車は、行き先も決めずに出発しました。本当は静岡に帰る予定でしたが、巖さんもひで子さんも車に酔って具合が悪くなってしまい、都内のホテルに泊まることになったんです。 弁護士さんにはひっきりなしに電話が来るし、車に同乗していた女性は私だけだったので、二人のケアをしながら、その合間に可能な範囲でカメラを回すという、本当にドタバタ状態でした。