【光る君へ】藤原道長はなぜ関白ではなく「内覧」に就任したのか
関白になりたくない
栄華をきわめた藤原道隆(井浦新)が死去し、関白を継承した弟の藤原道兼(玉置玲央)も、疫病のために急死した。NHK大河ドラマ『光る君へ』の第18回「岐路」(5月5日放送)では、道隆の長男の伊周(三浦翔平)が、ようやく自分が関白になれる、と確信する様子が描かれた。 【写真】第16話で描かれた、一条天皇(塩野瑛久)と中宮の定子(高畑充希)のラブシーン
このとき伊周は内大臣で、道兼の弟(伊周の伯父)で権大納言だった道長(柄本佑)よりも官職が上位だったのだから、次に関白になるのは自分だと確信しても不思議ではない。しかし、現実には、政権中枢の座に就いたのは道長だった。5月11日、道長は一条天皇(塩野瑛久)から「内覧」への就任を命じられた。 この「内覧」とは、元来は関白の主要な業務を指す言葉で、太政官が天皇に奏上するすべての文書に事前に目をとおすことをいう。国政は文書によってまわっているから、その文書のすべてに目をとおすということは、国政の全体を掌握することを意味した。 とはいっても、「内覧」は「関白」そのものではないし、そもそも関白のような頂点の職位ではない。多くの人にとって、いまひとつつかみにくい役職なのではないだろうか。 第19回「放たれた矢」(5月12日放送)には、一条天皇が、「内覧」に就任した道長に、さまざまに問いかけるシーンがあった。この対話は「内覧」という役職を理解する助けになるかもしれない。 「身命を賭してお仕えいたす所存にございます」と奏上する道長に、天皇は「ひとつ聞きたいことがある」といい、こう問うた。「そなたはこの先、関白になりたいのか? なりたくないのか?」。これに道長が「なりたくございません」と即答するので、天皇は「なぜであるか?」と問い返した。道長の答えはこうだった。「関白は陣定に出ることはできませぬ。私はお上(天皇)の政の考えについて陣定で公卿たちが意見を述べ、論じ合うことに加わりとうございます」。
公卿の会議を仕切れる内覧
ここで、道長が語った「陣定」という語について説明する必要があるだろう。これは平安時代、なかでも摂関政治の時代に、大臣以下の公卿が行った国政会議のことを指す。この会議をリードするのは太政官の首班、つまり大臣の筆頭である「一上」だが、関白に就任すると「一上」を兼務することはできなかった。道長が「関白は陣定に出ることはできませぬ」と返答した背景には、そういう事情があった。 さて、一条天皇と道長の対話に戻る。一条天皇が「関白もあとで報告を聞くが」と尋ね返すと、道長は次のように答えた。「あとで聞くのではなく、意見を述べる者の顔を見、声を聞き、ともに考えとうございます。彼らの思い、彼らの思惑を感じ取り、見抜くことができねば、お上の補佐役は務まりませぬ」。 この「内覧」、道隆が病気のあいだ、一時的に伊周が務めたことがあったが、それは最初から、道隆が病気のあいだにかぎるとされていた。「内覧」という役職が臨時ではなく置かれるのは、23年ぶりのことだった。 道長が関白ではなく「内覧」になったのは、官職が権大納言で、大臣にもなっていなかったためだと思われる。関白にならなかったのではなく、なれなかったのである。しかし、内覧なのに、内大臣の伊周より下位の権大納言のままでは都合が悪く、陣定を仕切るにも不都合がある。そこで6月19日、道長は右大臣に任じられ、太政官の「一上」になった。 おそらく道長にとって、右大臣で内覧という立場が、それが自分で選んだものであったにせよ、一条天皇の意志でそうなったものであったにせよ、理想的だったと思われる。『光る君へ』での「(関白に)なりたくございません」という返答は、案外、史実に近いのではないだろうか。 この時点では、道隆の息子である伊周と、弟の隆家は、道長への敵意をむき出しにし、露骨に楯突いていた。仮に道長が関白になったとしても、まだ政権基盤がしっかり固まる前に、伊周や隆家が「陣定」を操って道長に抵抗したら、道長の政権が揺らぐことがないともいえない。だから、道長にとっては「陣定」に目を光らせておく必要があった。 道長は「内覧」になったおかげで、文書を読んで天皇にアドバイスしながら、陣定をリードして公卿たちを統括することができた。ネームバリューは関白より低いが、現実には、関白以上に大きな権力を手にすることができ、ライバルを押さえることもできた。道長にとっては、まことに好都合だったというほかない。