平昌パラ五輪公式サイトも村岡桃佳の金メダルを絶賛「日陰から脱出!」
村岡は、4歳の時に脊髄炎にかかったことが原因で下半身が麻痺した。以降、車いすでの生活となるが、父の秀樹さんの薦めで、陸上など、様々な障がいスポーツを楽しむようになり、小学校2年で、友人の紹介でチェアスキーの体験会に参加したのが、スキーとの出会いだ。埼玉出身で雪山との関わりはなかったが、天性のセンスがあったのか、たった2、3日で一人で滑れるようになった。 本格的に競技スキーに取り組むのは中学2年からだが、最初は、父と2人で見よう見まねの独学で練習していたという。競技人口が少ないことも手伝い、海外の遠征チャンスなどを得て、世界のトップスキーヤーの滑りに感動を受け、埼玉・正智深谷高に進学後は、土日だけでなく、平日も、授業が終わってからナイターでの練習まで行うようになった。高校生でソチ五輪の大回転(座位)出場したが、5位に終わった。 そのとき、父・秀樹さんに「次は絶対にメダルをとる」と、雪辱を誓ったという。 ソチ五輪後、トップアスリート受験で早大に進学。海外遠征が多いが、単位獲得などにも大学の全面バックアップがあり、スキー部は、OBなどから寄付をつのり、寮などをバリアフリー化してくれた。 そして、身近にいた森井大輝(37)らからカービングターンの技術を吸収。夏はニュージーランドやチリといった南半球の雪上ですべり、冬はオーストリアの氷河などでトレーニングを積み、この4年で急成長した。 「いろいろな選手、いいお手本が、周りにたくさんいます。近くで、滑りを見て学ぶことが増えてきました、たくさんの方の支えがあってメダルを獲得できたと思います」 村岡は支えてきてくれた周囲へ感謝の言葉を口にした。 18日には最後の種目の回転(座位)が残っている。 「もっとも苦手な種目」らしいが、5つ目のメダル獲得を狙う。 21歳の日本選手団の旗手は、また笑顔で平昌五輪のゲレンデを滑るのだ。