「音楽業界が変わっちゃった」進まないキャンペーン ソニーにベスト盤を提案、5枚組のアルバムに コロナ禍で休養した理由 真木ひでとさんインタビュー
SONYに「ベスト盤を出してくれませんか」
ーー2020年に30年近くぶりの新曲『淡雪の宿』を収録した111曲入りのオールタイムCD集『陶酔・心酔・ひでと節!』が発売されました。 ひでと:『元気の星』の後にも1993年に『三陸海岸』という曲を出してるんだけど、いくらレコード会社にキャンペーンを提案してもが話が進まないし、スタッフの売ろうという熱意が感じられなくなりました。音楽業界が変わっちゃったとがっかりして、もう新曲は出さずにライブを中心にやっていこうと決めたんです。 でも、2012年のデビュー45周年のタイミングで、これまで一番長くお世話になったSONYにベスト盤を出してくれませんかという話をしたところ快諾してくれました。それが『陶酔炎歌』というベスト盤なんだけど、『陶酔・心酔・ひでと節!』はその発展形のような形です。古希記念ということではじめ3枚組の予定だったのが、ファン投票なんかもしてるうちに5枚組になっちゃって、レコード会社の枠を超えオックス時代から現在までほとんど全曲収録。コロナでライブは出来ていなかったんだけど代りにラジオ番組やインタビューをどんどん取ってくれて、久しぶりにレコード会社と二人三脚の仕事を実感できて嬉しかったです。 ーー『淡雪の宿』もしっとりした演歌でいい曲ですが、どんな経緯で作られた曲なんでしょうか? ひでと:厳密に言うと新曲じゃなくて、あまりに新曲を出さない僕に業を煮やした作家の友達が作ってくれた曲なんですよ。けっこう前のことで、当時はレコード会社との話が上手くいかずお蔵入りになってたんだけど、5枚組を出すならこの機会にぜひ収録したいと思いました。作家の方への恩返しになりますしね。カップリング扱いの『ごめんよ』もとてもいい曲。カラオケに入っているのでぜひ多くの方に聴いて歌っていただきたいです。
「カミさんに普通の生活をさせてあげたい」
ーーコロナ流行以降、お仕事はセーブされているのでしょうか? ひでと:2020年緊急事態宣言が出てライブイベント、『陶酔・心酔・ひでと節!』のトークイベントも中止して以来、このインタビューを受けるまで4年近く一切仕事はしませんでした。もちろんコロナもあるんだけど、僕もいよいよ70代になったし私生活も大事にしたいなって。これまで僕の所属事務所はカミさんが代表として頑張ってくれてたんですが、芸能マネジメントって辛い仕事じゃないですか。この機会にしばらく普通の生活をさせてあげたいと思って、思い切って休養することにしたんです。 ーー今後の再始動を心待ちにしています。 ひでと:きっと近いうちにやります。もう歩くだけでも息切れするような年齢になりましたけど、ステージに上がれば絶対にいい歌とライブをやれる自信があるので楽しみに待っていてください。 ◇ ◇ ブランクを感じさせない力強い声で約3時間のインタビューに応えてくれた真木ひでとさん。隣には奥さんも同席して、これまでの長い道のりを聞いておられるのが印象的だった。長い休養を経たひでとさんの新たな活躍を期待したい。 真木ひでと(まき・ひでと)プロフィール 1950年、福岡県田川市生まれ。1968年、オックスのボーカル・野口ヒデトとしてデビュー。『ガール・フレンド』、『スワンの涙』などのヒット曲を連発し、グループサウンズブームの一翼を担う。1971年ソロデビュー。1975年「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、『夢よもういちど』で演歌歌手として再デビュー。以降も数々のヒット曲を発表している。2020年、70歳を記念してオックス時代から最新録音まで全111曲を収録した5枚組CD集『陶酔・心酔・ひでと節!』をリリース。 (まいどなニュース特約・中将 タカノリ)
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