黒澤映画の傑作『七人の侍』公開70周年の今、全米で再び脚光を浴びる理由
<公開70周年を記念する復刻版が全米で上映中。ハリウッドにも影響を与えた黒澤映画の大傑作を見直す意味>
ニューヨーク大学映画学科の新入生の頃、筆者と仲間たちには一風変わった合言葉があった。学内で出会ったら、まず「今日はコメの薄がゆ」と呼びかける。すると相手は「明日はヒエ!」と答える。 【動画】4Kリマスター『七人の侍』米国版予告編 この合言葉、元ネタは黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)にある。当時、私たち学生は「ショット・リバースショット」や「第四の壁」といった映画作りの概念を学ぶために、この映画史に残る偉大な作品を授業の初日に見せられた(まだスマホで映画を見られる時代ではなかった)。退屈な課題かと思ったら違った。ショックを受けた。セリフが骨に染み付いた。それで奇妙な合言葉ができた。 『七人の侍』は公開70周年を機に4Kリマスターされ、この夏、全米の映画館で公開された。私もこの「勝ち目のない戦いに挑む正義の味方」の活劇を改めて見た。そして昔と同じようにショックを受け、同じように楽しんだ。 ラシュモア山に彫られたアメリカの大統領4人の肖像のように、20世紀半ばに登場した外国映画の偉大なキャラクター4人の彫像を作るとしたら、『七人の侍』で三船敏郎が演じた野性的な剣士・菊千代は確実にその1人となる。 その横に並ぶのは、たぶんイングマール・ベルイマン監督の『第七の封印』(57年)でマントをまとった死に神、フェデリコ・フェリーニ監督の『8½』(63年)で黒い帽子をかぶったマルチェロ・マストロヤンニ、そしてフランソワ・トリュフォー監督の長編デビュー作『大人は判ってくれない』(59年)でジャンピエール・レオが演じた反抗的な少年だろう。 黒澤は『羅生門』(50年)で既に国際的に知られていたが、『七人の侍』は国内での興行的成功と同時に、心躍る物語で世界を魅了した。 戦後の日本映画は当初、封建時代の話を忌避していた。領主への無条件の忠誠などという概念は過去の遺物とされていたからだ。 あの時代の日本映画の名作と言えば、小津安二郎監督の『東京物語』(53年)と本多猪四郎監督の『ゴジラ』(54年)だ。前者は老人を使い捨てる近代性への痛切な批判であり、後者は被爆国・日本のいわば集合的黙示録だった(その後のシリーズでは、日本映画の稼ぎ頭に変身したが)。 対して『七人の侍』の舞台は16世紀の戦国時代。多くの武士が主君を失い、しがない傭(やと)い兵となっていた。その一部(7人)が、なぜか正義のために力を合わせて農民を守ろうと立ち上がる。それは古典的ヒロイズムを踏まえつつも、戦後日本の時代の空気を反映した作品だった。