フットサル歴1年未満、19歳の両利きピヴォが2試合3得点!町田のブレイク候補生・三宅悠斗「原田快の眼中に入ってやる」【Fリーグオーシャンカップ2024|ミックス/立川vs町田】
5月18日、名古屋金城ふ頭アリーナにてFリーグオーシャンカップ2024の準決勝が行われ、立川アスレティックFCとペスカドーラが対戦。町田は5-2で立川に勝利し、名古屋オーシャンズとの決勝戦に臨む。 デビュー2試合目のこの日もゴールを挙げ、今大会3点目をマークした町田・三宅悠斗が試合を振り返った。
甲斐さんと話して、フットサルに決めた
──今日の試合はどうでしたか? 厳しい戦いになることはわかっていました。試合を上で見ていても、立川は走り回って、攻守の切り替えも早くて、相手にすると嫌なチームだな、と。なので、ピッチに立ったらまずは守備でチームに迷惑をかけないように走って、攻守の切り替えも早くして、最初は常に守備を意識して試合に入りました。 ──新チームでは中核の選手として起用されています。監督からはどんな指示が? ピッチに出る時も、前日にも特に指示はなく、「おまえのいいところを出せ」「ゴールを目指せ」と。自分のダメなところというか、動きのところは、どこで仕掛けるか。ずっと仕掛けるのではなく、周りも使いながらやろうとは話してもらいました。ただ、「ゴールを目指せればそれでいい」という感じではありました。あまり自分でもわかってないのですが(笑)。 ──三宅選手は、2022年のJFA 第9回全日本U-18フットサル選手権大会で4位になった藤井学園寒川高校の10番で、キャプテンでした。そこで得点王に輝いたんですよね。 そうですね。 ──今日もずっとピヴォで入っていますが、ポジションは元々ピヴォですか? そうですね。U-18選手権の時からずっとピヴォでした。アスピランチでは右アラをやっていたのですが、トップに上がってからはまたピヴォをやっています。 ──去年、足首の怪我で手術をしたそうですね。 はい、U-18選手権が終わった後ですね。 ──それからリハビリを経て、アスピランチに所属しながらトップにも帯同して練習していた、と。 そうですね。トップチームでずっと練習をやらせてもらっていました。 ──アスピランチに入ったのはいつですか? 高校卒業してからです。寒川高校でずっとサッカーをしていたのですが、U-18選手権に出てみようということになりました。このチームは、U-18選手権の第1回大会で3位になって、それから期間は空いていたのですが、また出てみようということになりました。 そこで全国まで進めて、自分は得点王になることができました。その後、12月にナショナルトレセン(JFA U-18フットサルタレント育成普及事業)に行って、高校卒業後にアスピランチに入りました。 ──どうしてアスピランチに? もともと、ペスカドーラ町田に行こうと決めていたわけではなく、フットサルを続けるのか、どのチームでやるのかと悩んでいたタイミングで声をかけていただいたんです。大学に進んで特別指定選手でどこかのチームに入るのかという選択肢もありました。でも、大学ではなく直接Fリーグのクラブに入りたいなと思っていました。 ずっと考えていた時に、寒川高校の監督と甲斐(修侍)さんが連絡を取り合ってくれたようです。それで、ZOOMで甲斐さんともお話をさせていただいて、その時に決めました。 ──フットサルをやっていこうと決めたのは? 卒業前ですね。受験勉強するまではサッカーを続けるつもりでした。声をかけてもらったチームもありますし、サッカーをやりたいという気持ちも強くてセレクションも受けたのですが、そこではダメで。どうしようとなっていた時に、先ほど話したように甲斐さんから声をかけていただいて、ついていきたい、と思いました。 ──フットサルへの気持ちもあった。 半々でした。サッカーもやりたいですけど、フットサルも声をかけていただいたりして、プレーしたい、フットサルにチャレンジしたいとも思っていました。それでナショナルトレセンに参加させてもらった時に、やってみようと。僕がフットサルできるかというと、テクニックもないですし……。 ──そんなことはないと思いますが(笑)。 いえ、自分のなかではみなさん本当に足裏の使い方も、ドリブルもうまい。自分はそうではなく、スピードで相手をほんろうしたり、ゴールに執着するタイプだと思っていたのですが、どこを評価してもらえたんだろう、と。 ──今であれば、自分のなかで評価も明確になったのではないですか? いまだにわかっていないです(笑)。小柄ですし、ピヴォっていう感じではないじゃないですか。アラというか。クワトロで裏に走って前に入ることはあったとしても、そういうのもよく理解できていないですし。