JR福知山線脱線事故と東日本大震災『奇跡の生存者』と呼ばれた男性が感じた違和感 2人が本当に話したかったこと
■「手を合わせる場所」は… 津波で9歳だった妹の未捺さんを亡くした只野さん。亡骸は校舎から500メートル離れた場所で見つかりました。 只野さんがまず伝えたのは「手を合わせる場所」についてでした。 只野哲也さん: 「お父さん、お母さんが瓦礫の中から息子・娘を引き上げたのはこの場所。でも校舎に手を合わせるし三角地帯に向かって手を合わせるし。僕にとっては(手を合わせるのが)なんでここじゃないのと感じる」 小椋さんも同じ思いを抱いていました。 小椋聡さん: 「花を置く場所も、彼ら(JR西日本)が良かれと思って俯瞰できる場所に献花台を置いている。僕の事故現場は、全然違う場所なので献花台もなかったけれど奥まで入っていってそこに花を置いていた」 ■「奇跡の生存者」への違和感 震災と脱線事故。「奇跡の生存者」と報じられ、自らの経験を伝えることになった2人だからこそ共感できる思いがあります。 小椋聡さん: 「『被災者として喋らされていることを繰り返している、これでいいのかと思っていた』と話していた。僕もそれはわかる。僕はこの人とならそのことを喋れるんじゃないかと思った」 只野哲也さん: 「『奇跡』だけじゃなくていろんなフレーズひとつひとつに重なるところ、共感できるところがある。全然初めて会った感覚がないくらい、僕にとって心地よい時間だった」 只野さんと小椋さん。2人はいま共同で企画していることがあります。 ■ここを出発点に… 11月、東京都内で自分たちの経験を語る講演会を開きたいと考えています。 只野哲也さん: 「事故、災害が起きた時だけの焦点じゃなく、そのあとにその人のどんな人生があったのかをこの30分で語れるか…」 東日本大震災の発生から13年7か月。JR福知山線の事故は来年、発生から20年を迎えます。 只野哲也さん: 「石巻でいろんな大人の人たちと話しているような空気を何回か感じたので、石巻や被災地だけじゃなく、いろんなところで残すことの意義と難しさがあるんだと思った。次の世代の子たちにとってそれが『負の遺産』にならないように、にぎわいや未来を拓くための仲間作りの発信地、出発点に大川も福知山線の事故現場もならなければならないと思う」
小椋さんとの出会いから、只野さんはふるさとで続ける活動への思いを新たにしていました。 福知山線の事故当時の車両が、来年12月に遺族限定で公開される見通しです。11月、只野さんと小椋さんは東京都内で自らの経験について語る講演会を開く予定です。
東北放送